ひとの学習
NHKのカルチャーラジオの日曜カルチャー、6/5の回は作家の高橋源一郎さんが講師でした。
●カルチャーラジオ 日曜カルチャー「人間を考える~今“学ぶ”ということ」(1)
・https://www4.nhk.or.jp/P1940/x/2022-06-05/06/72971/3657079/
・https://www.nhk.or.jp/radio/ondemand/detail.html?p=1940_01
その中で高橋先生が、子供が言葉を覚えるのは自発的で親が教えるのではない、むしろ子供が親に教えているようなものだ、という感じのことを言っていました。
高橋先生が言いたかったのはこの方向の逆転性の事だと思います。
この話を持ってきたわけは知能らしきものはどうやって発展していくかということを考えていたからです。
子供が知能を発達させるのは、自分の中で回路をぐるぐる回してランダムに回答し、周囲の反応で答え合わせをして、自分のものとして積み上げていくのだと考えています。
そうすると、これが何かに応用できないか、AIの知能発達が同じようにいくのではないかと思ったわけです。
子供が頭の中でトライアンドエラーを高速でやるように、AIが計算でトライアンドエラーを繰り返したら、子供のように発達するのではないか、そう思ったのです。
オオカミ少女のように人間の社会から切り離された場合、認識が違ってしまう例が知られているので、この話はよくわかると思います。
AIのことを学んでないので素人の雑談でしかないのですが、この方向で研究されているところもあるんじゃないかと思っています。まあ、どうやってAIに正解・不正解を認識させるのかが難しいんでしょうね。
もう少し言うと、知能の獲得は個人の生来の諸元と、本人のトライアンドエラーとショートカットの作成の優劣と、周囲の環境によって大変揺れ幅が大きいので、才能はやっぱり偶然の産物ではないかと思うのです。
マラドーナが別の時代に生まれたらサッカーの天才になれたか。ニュートンが別の時代に生まれたら万有引力の法則ができたか、アインシュタインが別の時代に生まれたら相対性理論はできたか。そんなことを思うのです。
あと、個人個人が持っている世界に対する感じ方も、それぞれ違うものを持っているはずです。それであるのに話しが通じているところがある。これは奇跡なのかもしれません。普通に話が通じない人たちがいますものね。
そんなものです。
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