文字と文化
さて、最近関裕二氏の古代史の本を紹介しているわけですが、面白いと思うとともに、なんとなく関連がありそうな話をいろいろとびーちぇさんからトラックバックしていただいております。
びーちぇさんの「ヲシテ文字が消されたわけ その1、その2」
天皇家、物部氏、蘇我氏の関係に面白いものを感じるとともに、関氏の本との共通点と相違点も勘案するといろいろ見えてきそうな気がします。
縄文、弥生は遠い原始人の話ではなく、現代日本につながる大事な時代というのが見えてきそうです。
あるいは、びーちぇさん、関氏の話を総合すると、古代史は何度も時の政権に都合の良いように書き換えられている、という事がありそうです。
物部氏、蘇我氏、藤原氏と実権が移るにつれ、上書きされてきたというのが近いかも。
最後の藤原氏の主催する「日本書紀」で古代ヤマトの歴史は完全に抹殺されて今に至るようですが・・・
ヤマト成立前夜にもおそらく何かあったはずです。
出雲神話とか。
まあ、この話は、おそらくこれからも続くと思いますので、もう少し考えましょう。
ところで、これに関連して思ったこと。
今はヲシテ文字と言うのはほとんどの人が読めないわけです。
漢字に駆逐されてしまったのでしょう。
ところが、現代においてはこの漢字が駆逐されるという新たな状況が現れています。
朝鮮半島とベトナム半島は、ご存知のように漢字文化圏だったにも関わらず、現在は漢字を廃しているか、全廃にする方向に向かっています。
漢大陸においても、簡体字という新しい文化をもって従来の漢字からある意味決別していこうとしているようです。
日本においても旧字体はまず使われませんし、難しい漢字そのものが排除される方向に進んでいます。昔は漢字で書かれていたものがひらがなで書かれると非常に奇妙な感覚を受けますが。
台湾においても、繁体字で行っていたものが、最近は北京政府にならって簡体字でいこうとしています。
何世代か後には、少数の学者しか昔の文献を読むことができなくなるかもしれません。
漢字も古代文字として絶滅するのかも・・・
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その1、その2と、漢字導入と仏教伝来によって、ヲシテが消され、忘れられたと書い [続きを読む]
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