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2006年5月14日 (日)

「壬申の乱の謎」

~古代史最大の騒乱の真相~

(関裕二著、PHP文庫)

 壬申の乱というと、天智天皇の子の大友皇子と、天智天皇の弟の大海人皇子(天武天皇)が戦って大海人皇子が勝った事件ですが、これが昔からいろいろと話題の種になっています。
 天武天皇は天智天皇の弟ではなく兄ではなかったのかとか、何故武力の無いはずの天武天皇が近江朝正規軍を擁する大友皇子に勝つことができたのかとか。
 実は大海人皇子は蘇我系の正統な継承者であり、尾張氏とも縁が合った。そして隠棲していた吉野から尾張氏の地盤の東国に無事逃げたことで、勝負が決まったのである。すなわち精強な東日本の兵力が悉く天武天皇側に付いたことで、近江朝側の兵士は恐れをなして逃げ去ったのである。

 日本書紀が天武天皇の命令で編纂されたと言うのはかなりあやしい。藤原の祖、中臣鎌足(=百済王・豊璋)を賛美するため、天智天皇(中大兄皇子)・大友皇子親子と天武天皇を賞賛して見せたのではないか。そして天武天皇の系譜をうまいこと抹消したのではないか。面白い説です。

 天智天皇と天武天皇の長幼が逆か否かというのはもうどうでもいいのです。聖徳太子とされる人物の没年が推古29年かそれとも30年か、大海人皇子の生年が推古31年か否か。これを隠すために日本書紀が編まれていたとしたら、非常に面白いことになりますね。

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