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2006年5月24日 (水)

「聖徳太子の秘密」

~「聖者伝説」に隠された実像に迫る~

(関裕二著、PHP文庫)

 聖徳太子には謎が多い。
 例えば、隋へかの有名な「日出づる処の天子」の国書を記したとされるが、隋からの外交使節に応対したのは誰かとの記載は日本書紀には無い。
 隋の記録はというと、推古時代のはずであるのに隋の代表は「大王」に会ったと記されている。
 このように日本書紀自体が謎とも言えるのである。

 著者は語る。
 聖徳太子は上宮、上の太子であり、中宮あるいは中の太子が天武天皇、下の太子が天武天皇の孫の長屋王ではないか。
 聖徳太子は用明天皇の子、天武天皇は用明天皇の子(または孫)と考えられる高向王の子で、あるいは聖徳太子と天武天皇は親子であったかもしれない。
 聖徳太子は、「日本書紀」が創った、蘇我系皇族の象徴だった可能性もある。
 蘇我系・天武系王統を後の天智系王統は全く大切にしていない。
 にもかかわらず、蘇我・天武天皇一族の祟りを恐れ、一族の寺である法隆寺を恐れたのではないか。
 それは、天智天皇・中臣鎌足の組が、蘇我入鹿を始めとして孝徳天皇の側近に至るまで蘇我一族をテロや冤罪で粛清して権力を手に入れ、天武天皇が壬申の乱で一度蘇我系に戻したところで、次の持統天皇・藤原不比等の組が、再び天武天皇の子孫を悉くテロや冤罪で粛清していった、その流れが、藤原氏に祟りの恐怖を与えたのであろう。

 明治の王政復古は、古代の歴史や倫理観がそのまま復活している。日本書紀の重用も、一度中世に没落していた藤原氏の復活も謎である。
 著者は言う、

 『日本書紀』編纂の中心に藤原氏がいたとされているから、彼らの隠然たる勢力は、今日の史学界にも大きな影響を与えていると考えるのは、はたして深読みが過ぎるであろうか。

 古代史と言うのは過去だけではなく、現在にも多大な影響を与えているようである。

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