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2006年9月18日 (月)

「在日の耐えられない軽さ」

(鄭大均著、中公新書)

 著者は父親が朝鮮の人、母親が日本の人である在日の人です。
 著者の在日論は政治化しておらず、血肉が通っているものの様に感じられます。
 題名は「存在の耐えられない軽さ」をちょっと捻ってつけています。
 父のこと、母のこと、自分のこと、そして妹のことについて語られる本書は、自叙伝風でもありますが、マスコミで喧しく語られている在日論とは少し毛色が変わっています。
 著者の父親も著述業の人で、かなり有名な人だったようです。

 さて、この本の中で一番興味を引いたのは以下の部分です:
(p.184-185)
 だが、在日がコリアンであるとか外国人であるということは、本当に自明なことだったのだろうか。先にも記したように、朝鮮・台湾出身者の日本国籍は、一九五二年の民事局長通達で一律に喪失したとされるが、ということは、例えば一九四八年生まれのわたしは、生まれてから四年ほどの間は、日本人だったということを意味するのだろうか。いや在日の日本国籍は今でも存続しているのだという人もいる。国際法学者で東大教授の大沼保昭氏によれば、民事局長通達による国籍剥奪措置は、国籍を法律事項とする憲法第十条に反する意見向こうの措置であり、したがって在日韓国・朝鮮人の日本国籍は潜在的には今でも存続しているのだという(略)。
 にもかかわらず、日本人も在日も、在日の外国籍を自明のものとして行動してきたのはなぜか。おそらく重要なのは左派。進歩派系知識人の役割であろう。なぜならば、日本社会で、在日に恒常的な関心を寄せ、その擁護者や専門家を任じ、在日論者として活動してきたのはこれらの人々であり、彼らは一九五二年の民事局長通達を批判しながらも、だから五二年以前の在日には日本国籍があったのだとか、だから在日には今でも日本国籍があるのだとは決していわないからである。なぜなのか。彼らの活動は長い間、北朝鮮労働党の支配下にある朝鮮総連に歩調を合わせたものであり、朝鮮総連は在日を在外公民と位置づけ、在日の使命は南北の統一、韓国の民主化にあるといっていたからである。つまり日本の左派・進歩派系知識人は、「帰化は同化である」とか「帰化は民族的裏切りである」などという朝鮮総連のプロパガンダの流布に協力しながら、在日が日本社会に統合されることに反対してきたのであり、それは最近では「外国人参政権法案」の推進という形で、今度は民団との関係によってそのことが実践されているのである。(略)
(p.186-187)
 かつて朝鮮総連と歩みをともにする日本人知識人が奇妙なことをいっていたように、今日、民団と歩みを共にする日本人知識人もおかしなことを言っているなと思う。(略)
 左派・進歩派系の日本人知識人はかつては差別にたいする批判者として、今日では多文化共生の実践者として在日の擁護者を装っているが、彼らは在日が日本社会に統合されることに反対してきたという意味では、在日たちからライフ・チャンスを奪ってきた人々であるともいえる。(略)

 自叙伝風の書き物ではあるけれど、上記の記述からは、何事かが読み取れるような気がするのですが。
 在日の苦労を重化させたのは誰か。興味深いところです。

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