コギト・エルゴ・スム
これがfinalventさんのところで取り上げられていたのが去年の10月31日だから、ものすごい旧聞になってしまうのですが。
「我思う故に我有り」は微妙に誤訳なんじゃないか
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2008/10/post-95e1.html
「cogito, ergo sum」
デカルトは、仏語で「Je pense, donc je suis.」としか言ってないとか。
英語にすると「I think, therefore I am.」
これは上にも書いた通り一般的には、我思う故に我有りとされているけど、finalventさんは
I am thinking therefore I am.
↑
therefore I am that
↑
that is that I am thinking
あるいはもっと単純に。
cogito, ergo sum
↑
sum 'cogito'
そう考えると、「私は思念している、だからそれが私だ」なのではないか。
もうちょっとこなれた言い方をすると、「私とは、思考している状態・機能なのだ」であり、「私という存在の本質は、考えていることだ」、ということではないか。
くどいけど、"cogito, ergo sum"は「我思う故に我有り」というように私の存在を問うているというより、「我思う故に我は思念活動で有る」というように、「私(我)」の本質を命題としているのではないか。
つまり、デカルトは、「私は存在するのか?」ではなくて、「私とは如何なる存在か?」を考えていたのではないか。
とのこと。
漢語調にすると、我思う而して我也、になるのかな。
finalventさんも自説にこだわりつつ呻吟しているようですが、これもなかなか面白いのでは、と思います。
いろんなコメントが付いているので、暇な人は週末に思索に耽ってもいいかも。
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