少子化。それは若者の静かな反乱
少子化問題について、いろいろな人が発言しています。
○少子化対策は”負け犬男”の救済にあり(森永卓郎氏)
○少子化対策PT(小渕担当大臣)
そして、いろいろな人が考察しています。
ブログだといろいろありすぎるので、割愛。
果たして少子化は”問題”なのか?
誰にとっての”問題”なのか?
話がぶっ飛びますが、日本の若い世代は政治的に意見を出さない、投票率が低いと。
でも、そんなことをするよりも、自分たちで意見を出しているのではないか。
それが、結婚しないできない。子供を産まない産めない。
道徳の問題と一緒で、それが正しいと主張するのは、他人が自分の思想の通りにあれば、自分が楽できるのに、という即ち自己満足のための他人への欲求。
少子化も、問題とするのは、そうあれば自分の思う世界となるのに、という自らの願望を社会的正義に置換している、その点にあるのではなかろうか。
そして、批判される当事者たちは、批判者よりも厳しい状況におかれていて、本来ならば積極的に目に見える反乱をするのであろうが、大抵はサボタージュに向かうもの。
それが少子化の遠因と言えば、いいすぎだろうか。
まあ、行政、議員、学者がどんなに努力してもねぇ。
困難にある当事者を、結婚しなければ、子供をもうけなければ、さらに経済的心理的に追い詰める政策でも作るんでしょうかね。
所詮は戯言。
ここら辺で畳む事といたしましょう。
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