内田樹氏の憂鬱
内田樹氏がホームページで”「百年目」のトリクルダウン”(2011/11/25)という記事を書いていたのでちょっと書き込みを。
http://blog.tatsuru.com/2011/11/25_1036.php
記事を全部読んでもらうのが一番いいと思うのです。
ユニクロの柳井さんのように、「優秀だが英語だけは苦手という学生はいらない」とかいう人がいます。もっと翻訳すると人材育成コストは企業が払うのは嫌です、国家および民間がやってください。
(私達企業は美味しいところだけつまみ食いしたいんです、と意地悪もいっておこう)
内田さんが今回挙げているのが「百年目」というお話。
大旦那さんが大番頭さんに諭すくだり。
「一軒の主を旦那と言うが、その訳をご存じか。昔、天竺に栴檀(せんだん)という立派な木があり、その下に南縁草(なんえんそう)という汚い草が沢山茂っていた。目障りだというので、南縁草を抜いてしまったら、栴檀が枯れてしまった。調べてみると、栴檀は南縁草を肥やしにして、南縁草は栴檀の露で育っていた事が分かった。栴檀が育つと、南縁草も育つ。栴檀の”だん”と南縁草の”なん”を取って”だんなん”、それが”旦那”になったという。こじつけだろうが、私とお前の仲も栴檀と南縁草だ。店に戻れば、今度はお前が栴檀、店の者が南縁草。店の栴檀は元気がいいが、南縁草はちと元気が無い。少し南縁草にも露を降ろしてやって下さい。」(カッコ内は内田さんのブログ転載)
人材を好きなだけつまみ食いし、しかも人材の育成には国家・民間といった他者のコストがかかっているというところにはほっかむりして、栴檀の露を降ろさず南縁草の肥やしだけもらっていく。日本の南縁草が枯れたら海外に行く。そしてそこも枯れたら他の国へ。
焼畑経済ですね。
内田さんは最期に言う。
誤解してほしくないが、私はそれが「悪だ」と言っているわけではない。
現代の企業家にとって金儲けは端的に「善」である。
けれども、『百年目』の時代はそうではなかった。
私はその時代に生きていたかったと思う。
それだけのことである。
でもきっと、善かもしれない、悪ではないかもしれない、しかし愚ではなかろうか、と言いたかったのではなかろうか。そう思います。
そして、一つ前の「平松さんの支援集会で話したこと」(2011/11/24)の記事。
http://blog.tatsuru.com/2011/11/24_2042.php
たまたま内田さんは平松さんの支援をしていますし、教育に関しては橋下さんの思想を疑問視してはいるのですが、注目すべきはココ。
急に記者会見で挨拶することになったくだり。
何も考えていなかったのですが、そういうときの反射能力はけっこう高いので、「言いたいことが二つあります」と申し上げました。
一つは、隣に座っていた平松さんに対して。「私が市長にお願いしたいことが一つあります。一つだけです。それは地方自治体の首長は教育行政に関与して欲しくないということです。」
横にいた平松さんの顔が一瞬引きつっていたようですけれど、申し訳ないけれど、これは言わざるを得ない。政治家の方が教育行政に関与して、ご自身の教育理念を現場に押し付けるようなことをされては困る。顧問として、市長にまずお願いしたいのは「教育権の独立」にご配慮頂きたいということである、そう申し上げました。
まあ、引きつりますわね。
この記事の後半は内田さんの教育論が展開されます。
是非読んでください。
子供たちは無駄に聡いので、何々したら何々買ってくれる、とか幼い頃から言ってきます。
それを交換条件としてよい状況か否か、なかなか悩ましいです。
マラソンで10位以内になったらDS買ってやるとは言ってしまいましたが。
以前言いましたが、面と向かった時は気が付かないですが、人間を総体で議論する時人間がゲームキャラになってしまっているのです。教育がレベル上げです。スキルはそのままスキルです。そして如何に効率よくレベル上げ、スキル上げをするかに血眼になっている様は、ゲーム世界で言う「効率厨」の如くです。
効率厨が跋扈するオンラインゲームはだいたい過疎化します。ついて行けなくなった人は去り新人は入ってこない。
上の焼畑経済と併せるとなかなか興味深い未来が想像できそうです。
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