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2012年3月22日 (木)

内田樹と橋下徹と教員と何かの敗北

「鳥取砂丘の糸電話」販売好調 新たな名物に?(日本海新聞)
 ソフトバンクのCMで「鳥取を馬鹿にしている」と大絶賛だった糸電話。
 その鳥取砂丘では職員が手作りの糸電話(100円)を販売しているとか。
 洒落が利いていて良いですなあ。

*****

 さて本題。

 去年大阪市長選挙がありました。
 内田先生は平松陣営=反橋下陣営に参加しました。
 もちろん教育の危機を考慮してのことです。
 平松陣営でも「政治家は教育に口を出すな」と述べて、平松市長に苦い思いをさせてますから相当なものです。
 ただし、教育に関しては平松陣営も教職員も多分橋下陣営も熱意を注ぐ軸線がずれていたのではないかと思っています。
 何故か。
 平松陣営も教職員も、最後は共産党までが参加して、教育への政治介入反対を主張していたのですが、まず第一に既に教育への政治介入を行動化してしまったのは誰かという視点が欠落していたと思われます。
 橋下陣営も教育への上記勢力の政治介入の奪回を目指していたと思われますが、果たしてそれは上級行政庁に利用されていなかったのかというところに疑問が残ります。
 誰がどう選挙戦を制しても別の誰かの台本の存在を考えざるを得ないところに、問題の根深さがあるような気がしますが。

 教職員ら平松陣営は橋下陣営に代表される勢力の攻撃に共産党まで引き入れて反撃を試みましたが見事に撃破されました(負けたのは教員だけのせいじゃないんですけどね)。
 本来なら敗因について反省しないといけません。
 何故ならば敗因の一端は自らの在りようを自らで浄化できなかった、そのことに尽きるからです。
 教職員の能力が低いとかそんなことは実は問題ではなかった。
 教員の中に程度を超えて政治活動する人間が増えすぎた。
 教員が政治活動をすること自体は当然問題ないんです。
 それが、教育の根幹を自らで破綻させていたからこうなった。
 すなわち、生徒に政治や思想を強制あるいは準強制することをしてしまった。
 しかも組織的に。
 なんのことはない、橋下陣営を非難している自分たちがやっちゃってたんです。
 そうなんです。
 橋下陣営はもとより平松陣営も教育への介入を志していたのです。
 だから内田先生の教育への政治不介入の希望に平松市長はもとより答えることができなかった。
 最初から内田先生の夢は破られていたのです。
 多分内田先生は知っていたとは思いますが(以下失礼な物言いになるので内田先生云々は省略します。ここだけ書きます)。

 もう一つ言えば、橋下陣営の希望も平松陣営の希望も多分満たされないでしょう。
 以下がいい事例でしょう。
 熱心な先生には進歩派が多いのですが、その生徒は逆に保守派になっています。
 何のことは無い、左翼教師に教えられて反動右翼が生産されているのです。
 前のターンでは右翼教師に教えられて反動左翼が生まれました。
 これを不毛と見るか、祝福と見るか。

*****

 いつも内田先生を讃歌していると思われるとあれなので、今日は逆です。
 今日取り上げるのは3/19のもの。

教育の危機と再生(内田樹の研究室)

(中略)でも、学校教育を現に活発に牽引している人たちが求めているのは、フリーハンドと自由な時間だけなんです。彼らにそれを提供すれば、彼らがもたらすオーバーアチーブは、仕事をしない「下の方の5%」のもたらす損害とは比較にもならない。それを超えて余りある。

 内田先生の言いたいことには同意しますし、オーバーアチーブは期待できますが、現在の問題は下の方の5%で済むか?その損害は許容範囲内か、ということです。
 おそらく一定数が許容範囲外であると判定し、橋下陣営に投じたと思われます。

でも、今の教育現場でのマネジメントの議論の中で、どうやって現場のパフォーマンスを高めるかという話は誰もしない。しているのは、働きの悪いやつは誰か、業務命令をきかない教師は誰か、それにはどういう罰を与えればいいのか、それしか議論していない。

 これはきっと平松さんが勝っても橋下さんが勝っても変わらなかったでしょう。
 何故ならばどちらの派閥がイニシアチブを取るかという意味でしかないから。
 ただ、この他罰の流れは副作用が大きいので本当は嫌いです。

(中略)国際社会において国民国家の果たすべき役割があるとすれば、それは新たな世界標準の創出以外にないでしょう。未来の国際社会のあるべき姿について明確なビジョンを示す。スケールが大きくて、風通しがよく、手触りのやさしい堂々たるビジョンを提示していく。「世界はかくあるべきである。人間社会はかくあるべきである。その大ぶりなロードマップの中で、日本はこれこれこういう役割を演じようと思っている。みなさんはこの日本の提案をどう思うか」というふうに世界に向かって堂々と提言するのが主権国家としての気概というものでしょう。

 かっこいいけど、それは日本ではない。
 それを格好良いと思うのは世界を己の好むやり方で制覇しようという野心かもしれず、他者支配の欲望をもたらすなど副作用の方が大きい。
 和を以って貴しとなす、は伊達じゃないと思います。

(中略)彼らがするのは「日本は世界標準にこれだけ遅れている。たいへんだ。バスに乗り遅れてはいけない。他国の成功事例をすぐ取り入れて、それを模倣しよう。」そういう話だけです。
自分たちが他国から模倣されるような新しい成功の事例を創造するという発想がない。全然、ないんです。

 そのまま読むとなんだか情けないですけど、日本は建国以来それがモチベーションの国だったということでしょう。
 日本は確かに模倣の国ではありますが、魔改造の国でもあります

(中略)社会がどう変化しても、戦争が起きようと、天変地異が起きようと、自分を律する規範をもっていて行動する人間と、何かあると、たちまちうろたえてきょろきょろ辺りを見回し、大勢について付和雷同する人間をそれを指標にして識別していた。そして、自己規範をもつ人間は信じてよいが、規範のない人間は信じてはいけない、そう父は考えていたのだと思います。

 今回の震災で一定数の日本人が肌で感じたことではないかと。
 日本人の感覚がある程度正しく、あるいは世界に影響を及ぼす可能性も示唆されたのではないかと。

(中略)日本人が「デインジャー対応」を忘れたのは、皮肉なことに平和と繁栄になじみすぎてしまったからです。

 今や夢は破られました。
 この震災と不況でかなりの人が強くなったのではないかと思います。

今、日本を覆っている政治の低調、経済の低調、学術の低調、すべての分野におけるイノベーションの欠如の根本にあるのは、自分たちが今暮らしているこの狭苦しい世界に「外側」があることを忘れているということです。

 内田先生のこの論述がよくわからないのです。
 21世紀の日本企業は世界と戦っています。
 また外側がばら色の世界でないことは誰でも知っています。
 外側には外側の日本とは別種の狭苦しい事情があります。
 こちらが意味を取り違えているのかもしれません。

(中略)「こんなシステムはダメだ。日本は一回クラッシュしちゃえばいいんだよ」というようなことを言い放つ人がメディアで大きな顔をしています。
言っている本人は「システムがクラッシュする」というのがどういうことか想像して言っているのでしょうか。公共的な支えを失ったときに、自分がそれを生き延びられる、それから利益を得ることができると本気で思っているのでしょうか。

 茶々を入れてすみませんが、うちの父が同じ事をよく言っていました。
 しかし評論家と違うのは、父は本気でどうにでもするだろうという確信です。
 百姓というものは内田先生が思っている以上にしぶといと思います。

(中略)国民経済が崩壊するというのがどういうことか、まだ日本人は真剣に想像していないと思います。でも、それはもう間近に迫っています。

 そうですね。都会の人は暢気ですね。
 田舎は数十年前から崩壊中です。限界集落です。
 都会向けだから仕方が無いのでしょうが。

(中略)それは日本人はイノベーションに関心がないということです。だから、イノベーションをどう支援してよいかわからない。

 これは賛否両方あるかもしれません。
 あえて言うなら、日本にはイノベーションはないが魔改造ならあるぞ、と。

日本の教育行政の基本は「世界標準に追いつくこと」です。それだけです。だから、「すでに達成された成功事例をもっと安いコストで再現する」ことにしか関心がない。先行する成功事例の模倣にしか研究予算がつかない。

 ここは賛成する人が多いでしょう。
 大学教員だった内田先生の苦労が偲ばれる箇所です。

(中略)でも、今の日本のイノベーション支援というのは、「成功することが確実な企て」にしか予算をつけない。99人に配分する無駄を惜しんでしるのです。

 今や研究開発にする予算は削られ続けています。
 お金が無いのが一番きつい。

(中略)自力でチャンスを切り開き、教育機会を自分で創り出した彼らが輝いていて、われわれが現に教育している子どもたちの方がどんよりしている。それは教育が機能していないどころか、成長の妨げになっているということです。そのことをわれわれ教育者はつよく反省しなければいけないと思います。日本の学校教育はそういうきらきらと輝くような若者を輩出することには成功していない。
それは教育に市場原理、競争原理を持ち込んだからです。教師たちも親たちも、子どもたちを競争に押しやろうとする。「あなたは頭がいいんだから、もっと勉強しなさい。もっと良い学校へ行きなさい。もっと高い年収を約束する資格を取りなさい」というふうに子どもたちが持っている知的な資質を、受験という「ゲーム」で高得点を取るためだけに限定的に使わせようとする。そういう強制に反発する健全な子どもは「じゃ、やらないよ」と学校からは脱落してしまう。

 もしかしたらここが一番肝心なところかもしれません。
 全体として内田先生はこう感じるのかもしれませんが、内田先生がけなすこの学校制度のもとで、その障害を易々と乗り越えてしまう高校生は多数います。
 学校から脱落する人の他に障害を屁とも思わない勇者が大勢いると思うのですが。
 高校生を舐めてはいけないと思います。

教育崩壊の最大の原因は、子どもたちを競争的環境に投じて、数値的に格付けして、点数順に社会的資源を傾斜配分するというシステムにしがみついていることです。点数の高いものには報酬を与え、低いものには罰を与えるというこの査定システムの本質的な貧しさと卑しさが子どもたちを学びから遠ざけている。学校そのものが子どもたちの潜在能力の開花を阻害し、健全な子どもたちをそこから脱落させている。そして、日本の学校をうまく逃れた若者たちだけが輝いている。これは日本の学校教育にとって恥とすべき事態だと思います。

 感想としては是であり否でありましょう。
 日本の学校でも開花している連中は山程います。
 もう一度言いますが、日本の高校生を舐めてはいけません。

(中略)だから、僕たちはそういう教育環境を確保するために全力を尽くさなければいけない。それを心ない人たちは「教員たちが楽をしたいからだ」というふうにあしざまに罵りますが、それはあまりに短見というものです。自己利益のことだけ考えている教師なんかまずいません。みんな、子どもたちを伸ばしたい、成長させたいと願っている。でも、そのために必要な教育環境が破壊され続けている。学校教育に政治イデオロギーが介入し、メディアが介入し、ビジネスが介入してきて、子どもたちを選別と収奪の対象としようとしている。そういう外部からの介入に対して、教える側の人間は、全力で学校と子どもたちを守らなければいけない。

 おそらく自分の感覚では昭和50年代ごろから、政治介入、メディア介入、ビジネス介入、子供の収奪がなされ続けていると思います。
 既に30年一世代です。今更なのです。
 この30年間、教員の中で自助努力が実を結ばなかった、その結果が次のベクトルが異なる方向からの介入だと思っています。
 もう一度言います。今更なのです。

*****

 日本のみならず世界中で教育の危機的状況にあることは間違いないと思います。
 しかし、人類、なかんずく子供はそんなことではへこたれないのです。
 そうでなければ今までの人類史は存在しないのですから。

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