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2013年9月28日 (土)

【しろぎつね仮説】人類愛はあるか

宮崎駿「永遠の0」を嘘八百と批判!? 百田尚樹も「おこ」で零戦戦争勃発か(JCASTニュース)

宮崎監督のいつもの舌禍と百田先生の素敵なサンドバック状態というところなのでしょうが。
宮崎作品を酷評する人もあれば百田作品を絶賛する人もいるので無駄に神経はすり減らすものではない。

宮崎監督が出たついでに、この方面の人は日本をけなすことを義務として感じているようにも見えるのだが、なんか非人間的だと常々感じていた。
対照的に右といわれる人々も、どうにも言論がすっ飛んでいて人間離れした議論が好きな感じがするものである。
ふっと海の向こうを眺めると、口角泡立てて日本を非難する人たちが観測できるけど、これも人間を見ているのだろうかと疑問に思う。
時空を超えてみれば、ゲームの無敵状態になった白色人種の方々は有色人種に対して人間と思っていたのだろうか。

というようなことを考えてみると、困った人々の性質として人類愛の欠如を共通項とすることも、そんなには無謀な試みではなかろうかと思われる。
人類が嫌い、ロボットのような理想主義で、正義に溢れ、秩序に則り、従順である、そのような仮想の存在を希求する。
そんな人間は存在しないから、世界に正義は無いと思い、思い通りにならない他人を罵り、理想の世界に邁進し、その世界に他人を押し込もうとする。
そんな世界に行こうとは思う人はまずいない。
だから彼らは始終不満。
理想の世界に到達できないのは、他人が悪い。
人類が嫌い。
堂々巡り。

しかし、そんな人でも初めは善意で動いていたはずだ。
ただし、頑張れば頑張るほど理想と現実の差異が大きいことに気がつく。
人間に無限の気力は無い。
善意という希望が失われたとき、その絶望を自分の思うとおりに動かない他人に対してぶつけるようになる。
自分の経験を以って、人類とはかような物だという確固たる信念を形成する。
自分の中では間違っていないので、始末に負えない。
人類が嫌いになる。
自然が、機械が、とにかく人間ではないものが好きになる。
人類を滅亡の淵に追いやり、自然とメカを愛する宮崎監督は、そうなのかもしれない。

賢すぎるから理想を追い求めてしまうのか。
優しすぎるから善意に疲れ果ててしまうのか。
人類として優れている人ほど人類が嫌いな気がする。

勉強し過ぎて他人が馬鹿に見えてしまう、そんな警句を父から聞いた記憶がある。
左といわれる人も右といわれる人も、それは賢い人々ではあろうが人類を愛するという一点でもう一度自分を見つめてみてもらえばいいのにな、と思わなくも無い。

少なくとも人類を愛する気がない人に、正義を語ってもらいたくない。
あまりに痛々しくて悲しいから。

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