反原発運動と正義、他
◆反原発デモに違和感や反感 「福島差別」を助長した側面
(福島民友新聞社)
福島大特任研究員の開沼博(30)は、反原発デモが「福島のためと言いながら、一方で『あんなところ住めない』とか『障害児が産まれまくっている』とか平然と言う人が(運動の)内部にいることが、嫌悪感すら呼び起こしている面がある」と解説し、運動に漂う、人ごととして福島事故をみる態度が反感の背景にあるとみる。「反原発の活動、言動が福島差別を助長してきた面はある。社会運動として非常にまずいことをした」 |
反原発運動の黒幕とか、逆に反・反原発運動の黒幕とか、そういうのはよくわからないので通過しますが、福島の地元紙。
例えばある反原発団体がこの福島民友へ出した抗議文や、福島民友に抗議する人たちのブログなどを見ても、正義の前にはそのようなことは瑣末であると考えているように見えます。
それは誤解であるとか、それは為にする抗議であるとか。
実際はもっとどぎつく、”妄想”とか”偏向報道”とか書いてしまっているのですが。
反原発運動は「正義」であり、であればこそ賛同者を得る格好の機会であります。
そして「正義」に楯突く勢力は、当然ながら悪であり、悪であるからには「正義」を妬む妄想であり「正義」を倒そうという偏向報道になるのです。
今回の図を書いてみましょう。
第一列は行政、第二列は民間、第四列は経済・産業、第五列は情報・通信です。
状況を単純にするために、政府と業界と報道を仲間としてまとめて扱っています。
ここで福島民友は民間に近い(5b)の位置にあります。
反原発団体は(5c)です。
(5c)は全方位に戦っていますが、流れ弾を浴びる(2)を(5c)が援護しようとして、(5c)と(5b)の戦いになりました。
興味深いのは、(5c)がどことも繋がっていないように見えるところです。
戦争や運動は物、金、人などなど、底力がないと成立しません。
(5c)の物理的なよりどころはどこなのでしょう。
それなりに気になるところですね。
◆「もはや韓国には失望を超えて絶望しか感じない」と元アジア女性基金の理事が語る
(楽韓Web)
「女性のためのアジア平和国民基金」(アジア女性基金、2007年解散)の元理事、明治大の大沼保昭特任教授のインタビュー記事です。
大沼氏のコメントそのままです。
このコメントを韓国が理解できないのであれば、すなわちそれは銃弾の飛び交わない戦争になります。
いや、更なる継続と言ったほうがよいでしょうかね。
不毛ですね。
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