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2014年9月17日 (水)

「英語教育論」についての再論

「英語教育論」についての再論
http://blog.tatsuru.com/2014/09/14_1017.php
(内田樹の研究室)

高校の数学や物理を英語で教えることにどういうメリットがあるのか。教えられる教員もいないだろうし、英語の苦手な生徒たちは数学や物理学について興味があっても教科内容を理解する手前で梯子を外されてしまう。
それが非効率だからというので、明治初期に大学での教科を日本語で教えられるように、漱石のような卓越した知性を「お雇い外国人」に代えて次々と大学教員に登用し、あわせて日本語そのものを高度化していったのではなかったか。
先人が営々として築き上げて、日本の近代化を推し進めた民族的な努力を100年後にまたゼロに戻そうとする人たちは何を考えているのか。
私たちにまず必要なのは英語の早期からの習得ではなく、むしろ「日本語の高度化」だと私は思っている。

 英語公用語化というのは、現場では日本語の放棄です。
 英語ができない人には教育の機会を与えないあるいは仕事の場を与えない、という方針が是か非か、一度考えてみればいいと思います。
 それを防ぐために、明治の先達は大変な努力をしたと思います。

 やはり、もう一度19世紀がどんな時代だったかを見直して、日本と世界のあり様を考えた方が良いと思うのです。
 19世紀のような西洋が強者として人類の中心として世界を席巻し、残余の国は弱者としてひれ伏していたような時代。
 強者にこびて自分より弱いものの存在に心安らげるのか。
 それとも、強者にこびずに自分より弱いもののためにも自由を求めるか。

弱いもの達が夕暮れ さらに弱いものをたたく
その音が響き渡れば ブルースは加速して行く
見えない自由が欲しくて
見えない銃で撃ちまくる
本当の声を聞かせておくれよ
(ブルーハーツ、トレイントレイン)

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