roleとanti-role:罪を憎んで人を憎まず
しろぎつね
罪を憎んで人を憎まず、という言葉があるだろ。
さくら
あるわね。宗教か何かの言葉だっけ。
しろぎつね
孔子の言葉らしい。とはいえ宗教でもありそうなものだから、そこは深入りしない。
さくら
たしか、罪を犯した人にもそれなりの理由はあるのだから犯罪そのものは憎んでもその人を憎んではだめよ、って感じだったかな。
しろぎつね
だいたいそんなところではないのかな。解釈は世間ではたくさんあるからこれというのは難しいだろうけど。それで、この話をもとにroleとanti-roleを解説してみる。
さくら
こんなのつながるの?
しろぎつね
まあまあ。まずroleとanti-roleをおさらいすると、
role:社会にとってプラスになる行為。社会への貢献。
anti-role:社会にとってマイナスとなる行為。犯罪とか。
ちょっと単純にしてみた。
さくら
正義と悪ってこと?
しろぎつね
似ているけどその定義だと後で混乱するからな。
それでだ、罪を憎むというのは、まあわかるな。
さくら
当たり前といえば当たり前のような気もするけど。
しろぎつね
この罪を憎む、つまりanti-roleを赦さないとか嫌うというのは大切だ。例えば、誰かが詐欺で大金をせしめた、という時これを赦さないとか嫌うというのが普通なんだが、ここで、俺も詐欺で大金をせしめてみたい、と思ったらちょっと痛いからな。
さくら
それは痛い人ね。それはanti-roleなの?
しろぎつね
思うだけならanti-roleではないが、anti-roleを許す心があるから社会にとっては不安定要素だな。anti-roleを許したり憧れたりする人が増えた社会は危ない。
さくら
それはなんとなくわかるわ。
しろぎつね
その次の人を憎まずの方だが、個人の話だったら単に自分はその人を憎まないということになる。
さくら
自戒の念ってことね。
しろぎつね
そう。でもこれを社会としてみるとanti-roleに対して当然に反anti-roleの感情が生まれてくる。この反anti-roleを正義として行動してしまうと、これはanti anti-roleとなり、気が付かないうちにそれ自身がanti-roleすなわち社会を損なう方向に行ってしまう。
さくら
なんかどっかで見たような......
しろぎつね
正義の怒りに燃えて悪を倒すつもりが、何故かそのうち自分が悪の道を走っていたりする。
さくら
カエサルの、全ての悪しき前例は善き処置として始まっている、というやつ?
しろぎつね
まさにそんな感じだな。過度のanti-roleへの憎しみは、特に攻撃行動は、社会を不安定化させる。憎しみが憎しみを生んで社会がいよいよanti-roleで満たされると、その社会は機能不全になる。
そうなればroleの人が頑張っても回復しないし、そもそもroleの人が減ってしまっている。
さくら
終わってるわね。
しろぎつね
そう、社会が終わらない為にはanti-roleを赦さない=罪を憎むけど、anti anti-roleにはならない=人を憎まない、ということになると思う。
さくら
個人のを社会に適用するのって飛び過ぎてると思うけど、感覚的にはなんとなくわかるわ。
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