闇のキャンディーズ事件のfinalventさんのブログを読んで
◆「闇のキャンディーズ」問題で微妙に気になっていたこと: 極東ブログ:
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2015/12/post-a63e.html
連続になるがfinalventさんのブログ、「闇のキャンディーズ」問題で微妙に気になっていたこと、で。
新潟日報の報道部長がTwitter上でまずは暴言と言って良い発言を重ねていたこと。
高島弁護士が報道部長氏に問いただし報道部長氏が謝罪した、という事件があった。
図にするとこんな感じになるのだろうか。
報道部長氏の暴言を高島弁護士が指摘し、その結果要職を追われたという格好で、世の中にありふれた話のように思われる。
finalventさんが高島弁護士だったら、と話が進むが、知り合いと思われる報道部長氏と手打ちが済めば非公開にするという手も確かにあるだろう。
しかし、高島弁護士は公開した。
公開した動機は業務妨害への対応(コメントは弁護士業務を妨害する意図が認められる)、あるいは社会的正義感(一般的人間として度が過ぎていると見られる)などが考えられ、明らかにした方が良いという判断に傾いたのだろう。
でも、この公開があっても報道部長氏が要職を追われないという選択肢もあったはずである。
何が言いたいかというと、この公開が高島弁護士と報道部長氏の私的争議だったら、おそらくN日報も報道部長氏の進退まで考えなかったのではないか、弁護士と悪口合戦したくらいでいちいち報道部長の首を変えていては職がもたないだろうから。
そうでありながらN日報が報道部長氏を人事異動させたのは、高島弁護士以外への暴言を考慮してのことではないかと思われる。
天秤の針を傾かせたのはおそらくここだろう、いわゆる世間体というもの。
では弁護士では無かった場合のfinalventさんがどうするかというと、非公開でも特に業務妨害はないだろうから、問題はなさそうである。
終わってしまった。
ではでは、高島弁護士が弁護士でなかったら(ややこしい)どうなるか。
ひょっとしたら、公開した場合でもN日報は報道部長氏を人事異動しないという選択肢が残っていそうである。
つまり、これは報道部長氏が高島弁護士およびその他の人に暴言を投げかけ、明らかになったという偶然が重なってできた事象なのではないか。
確かに組み合わせによっては懲罰性が予想されるが、それが懲罰として実施されるかどうかは状況次第ということになる。
finalventさんは、日本の社会、ネットの社会では(おそらく欧米社会と比して)なぜ懲罰性の構造を持つのだろうと述べられる。
ひょっとしてそれは違うのではないだろうか。
おそらくfinalventさんが想定するのは、自由な個人Aが自由な発言をして世間から異端視されるというパターンではないかと思われる。
でも、一般的に起こっているのはA群とB群(and so on)の対立で、どちらがより世間を味方につけて相手に勝利するかという非軍事的戦争である。
懲罰的にではなく和解の道を選ぶ場合は、全群の手打ちが必要である。
それは日本だけではなくどこの世界でも不可能に近い。
そして今日も世界中で軍事的戦争と非軍事的戦争が繰り広げられる。
人類はたぶん、賢くなりすぎたのかもしれない。
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