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2016年2月 9日 (火)

リベラルに関する一考察その他

 日本ではリベラルと言えば進歩的でありがたいものという雰囲気があります。しかし子細に観測してみると何か日本人を人間として見ていないのではないと思われる節があります。
 そしてそのリベラルが日本人を人間として見ないという雰囲気に対して、何か義憤に駆られた者が国士となっている。つまり国士はリベラルに対する反射で生成したのではないかと思われるところがあるのです。

 リベラルが何故日本人を人間として見ないか、その理由として世界の名だたる国々が基本的に日本人を人間として見ていないからというのが挙げられると思います。その結果として世界に同調し元々の同胞を人外として見るに至るのです。
 リベラルにとって基準は世界であり、リベラルに同調しなかったり反発したりする人間は未開で野蛮な者としか見えないのです。ましてや日本独自の思想などは世界への反逆だとリベラルは考えるのです。

 それではこうした独善的にも見えるリベラルに対して国士は正義の人かというと、本人はそう思いたいのでしょうが少し違うようです。国士は自らの考えをリベラルへの対抗としますが、またリベラルの源泉たる外国へも対抗するので排外主義となりやすいのです。また、国士の考えに同調しない者も人間とみなさないのです。
 結局リベラルも国士も日本人を人間と見ないということでは共通しているということになります。

 さて、リベラルの源泉である名だたる外国では、やはりというか日本人が人間であると思っている人はけっこう少ないのです。ですから日本人が悪行をしている、していたという話題についてあっさりと信じたりします。為にするニュースや映画は真偽を確かめるまでもない、重大な情報源として扱われるのです。
 ただ、これらは単なる情報なので実際の外国人旅行者は日本人と出会って日本人が人間であることに驚いたりもします。

 このようなことは対日本だけではなく世界の国、民族、宗教、政治組織、企業集団など、様々な組み合わせで起こっています。特にある集団に属していると、特定の他の集団の人を人間とみなさないという空気が生じたりします。それは昔話や物語のように当たり前のものとして認識されます。
 既にそこには人類愛というものは存在しませんし、通用もしません。

 ここで言いたいことは、だから他人が自分を人間とみなさないことを赦しましょうとか、他人が自分を人間であると認めさせましょうとかそういうことではありません。
 相手がどのような立場の人であれ、自分ができることは一つ、自分は人間である、相手も人間であるという姿勢を貫くことだと思います。
 他人に思想を強制するのは愚かなことなのでお勧めしません。
 リベラルや国士の姿を他山の石として考えることを推奨します。

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