ぼやきくっくりさんの国連「表現の自由」特別報告者記者会見記事からの雑感
◆左派に占拠された国連「表現の自由」特別報告者記者会見(ぼやきくっきり)
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid1873.html
くっくりさんの記事です。
連続ですみません。
リベラルが国連を自己利用しようとしていていくらかは目的を達成していたみたいですが、やり過ぎて嫌われてもいるみたいですね。
何をやっているのだか。
今回はこうしたリベラルのうち自己主張の激しい群(リベラルA群)についてその傾向と対策を考えたいと思った次第です。
中心世界と辺境世界
まず、世界と日本の立ち位置を見た場合、西洋が中心世界、日本が辺境世界ということになります。ちなみに清国(中国)(+朝鮮)はもう一つの中心世界(中心世界2)と見ることができます。
この他、もう一つの極であるコミュニストがあります。
これは反中心世界、反蛮族という特殊位置にあります。コミュニストは各社会の弱者を救いたいというrole(善)を持って生まれました(マルクスはそれを希求していました)が、ほどなく世界と社会を巻き込んだ権力闘争というanti role(悪)の存在が前面に出てしまい、以来roleがほとんど表に出てこない状況です。もちろん本人たちは自らをroleだと思っています。
本来はリベラルとコミュニストと分けて考えないといけないのですが、今回の日本人を人間と見ないという面では共通していますのでリベラルA群という呼称まとめておきます。
リベラルA群の愛
中心世界は日本を蛮族と見ています(イメージです)。リベラルとして中心世界に認められたい。こうしてリベラルA群が生まれます。
ここで中心世界に認められないのは自分に実力がないのではなく、日本人だからだという認識を持ちます。なんとなくですので全員がそうなるわけではありません。ここで中心世界嫌いになって民族派に転向する人もいるかもしれませんが今回は省略します。
恋する中心世界に認められるために、日本という蛮族を非難することで一員として認められたいという考えが湧き上がります。まさに恋心。
中心世界が日本人を蛮族で人間と見なしてないように日本人を人間としてみない(イメージです)。英語公用論、キリスト教化論、日本未開論、クジラ論、女性論、南京事件、慰安婦問題そして中心世界に物申さない。
これだけすればリベラルA群は中心世界に認められるでしょう。
と思っているはずですが、本質はどうなのでしょう。日本を批判することで中心世界の一部からは喝采を浴びることとなるでしょうが、それで中心世界の一員となっているか。もしかしたら蛮族の草と見られて、表面的にしか仲良くしてもらえないかもしれません。
今回の記者会見の振る舞いがそれに近いようにも思われます。
これがおそらくリベラルA群が中心世界に恋焦がれ、日本人を蛮族として中心世界に告発するエネルギーでしょう。
正確な表現ではないかもしれませんが、方向性はこちらだと。
リベラルでも本当に実力のある人は、中心世界に媚びへつらって日本人を蛮族視したりしないと思うのですけどね。
そして本当に実力のない人は、どんなに日本人を蛮族視しても中心世界から認められないでしょう。誰か今回いたようですね。
なぜ日本のリベラルは本物ではないのか
リベラルA群は、中心世界に憧れ中心世界の人から認めてもらいたい、中心世界から他の日本人と同じ蛮族扱いされるのは嫌だという心の流れがあるように思えて仕方ありません。そして同様に中心世界のリベラルと同じということで日本人から尊敬を受けたいという心理もありそうです。結果日本人は蛮族だが自分たちは違うと思いたいリベラルA群が大量生産されます。日本の中でいわば貴族的立ち位置にありたい。だから日本のリベラルは中心世界のリベラルと異なり同胞を人間としてみないという姿勢が目立つことになります。これが本物のリベラルといえるでしょうか。
だから外国のリベラルと同じように政府批判をしても、国民の方をみていない。国民の役に立つことなど眼中に無いのです。
その姿勢のままで日本は本物の議論ができないとして日本を蛮族と呼びたがりますが、そもそもの原因が文句を言っているのです。どの口が言うか。
コミュニストが混じっているとはいえ、いったい国民に冷たいリベラルなんて日本以外にあるのでしょうか?
メディアとインターネット
リベラルA群が、特にメディアと親和性が良すぎる現状は問題があります。記者クラブに代表されるようにメディアの閉鎖性が日本で目立ちます。ちなみに国境なき記者団による世界報道自由度ランキングで日本は2015年に61位、2016年現在では72位です。リベラルA群などは政府の姿勢を理由にしたいみたいですが、それだけではないことはレポートからわかります。政府の努力だけでは無理なのでここを何とかしないといけません。どのような政権であれ記者クラブが残っていたら本当の報道の自由なんて夢のまた夢でしょう。
そのような中で特に言いたいのは日本のマスコミの中の人や評論家のリベラルな人の能力の不足です。ジャーナリストやリベラリストの称号だけで、能力に疑問を感じる人が多すぎます。よくがんばっていますね程度ではちょっと問題があります。例えばショーンK氏の問題がありましたが、素人に勝てないようでは情けなくなります。少なくとも池上氏クラスの人がそこそこ大量に必要です。
一方Freedom Houseによると世界のインターネット自由度ランキングで日本は9位だそうです。比較対象が違うとはいえこの順位の差は面白いです。
インターネットが普及を始めて20年くらい経ちました。よく年齢が高い人はまだテレビや新聞が主でインターネットはあまり使わないし、年齢が高い方が影響力も大きいという声があります。しかし、これが30年40年とかになったらどうなるでしょうか。インターネットに触れる機会がない人の方が少なくなってくるのではないでしょうか。記者クラブの優位性が崩れるとしたらこの流れになると思います。
もちろん、記者クラブもリベラルA群もインターネットを使いますのでインターネットが流行ったら全て良い方向にいくというものではありませんが、リベラルA群が占有するという事態だけは解消することができるのではないでしょうか。
リベラルと民族派
リベラルと対極なのが民族派ですが、民族派は中心世界からみると蛮族が蛮族たる理由のようにしか見えません。リベラルA群から見るとリベラルが国民を指導(実際は支配か)しようとする際の邪魔者にしか見えません。そのような背景からリベラルA群は民族派をanti roleとして非難し続けます。リベラルA群が日本人を蛮族と見なすanti roleを延々と続けるので、自然とリベラルに対して反anti roleになります。このコラムで何回も言っていますが反anti roleはanti-anti roleとなって最後にはanti roleとなります。リベラルA群や中心世界に散々悪口を言われてきた民族派はついにはリベラルや中心世界の人間を人間と見なさない行動に出ます。これが民族派A群の出現です。
こうして日本人を人間と見なさないリベラルA群はついにはパヨクという称号を、リベラルと中心世界の人間を人間と見なさない民族派A群はネトウヨという称号を与えられ、自分達はroleで相手がanti roleだという争いを延々と続けることになります。
エネルギーの無駄遣い、全くの不毛です。
本当のリベラルに出てきて欲しい
日本が世界との関係を開始した19世紀以来中心世界は日本を蛮族と見ているという視点は不可欠です。
しかし、そこで中心世界を真似て同胞を人間と見なさないとか、中心世界の傲慢を糾弾して中心世界の人間を人間と見なさないとか、そういうことをやるとanti roleになるという危険性を認識すべきでしょう。
リベラルは「自分が認められる」のではなく「日本人が認められる」ようなやり方が何故できないか考えてみてもいいのです。
「日本」というと国家主義であるとしてリベラルやコミュニストは嫌いますが、「日本人が」ですよ。
日本人が中心世界と同化すれば解決するという考えが明治以来よくありますが、それはリベラルではなく文明破壊であって人類社会からみてanti roleです。
日本人を蛮族と見なしているリベラルA群の人たち、あなた方が貴族然としていると日本人が困ります。
日本人はリベラルA群の奴隷ではないのです。
そんなわけで本当のリベラルに出てきて欲しいのですが、夢のまた夢でしょうか。
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