くっくりさんの1月28日の記事で雑感
◆対馬仏像韓国地裁判決で前住職「異次元の世界」「時空を超えた論理」「永遠に分かり合えない」- ぼやきくっくり
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid2008.html#sequel
このところ韓国ニュースが逆の意味で人気ですね。
いわゆる少女像(少女の慰安婦はいたら排除されますので史実とは異なると考えられます。また像の少女はどうも米軍轢死事件の被害者と言われているので背景が怪しいです)をプサンの領事館前に設置して日本をドン引きさせた後、竹島に韓国の道知事が上陸、そして韓国人が対馬の寺院から仏像を盗んだ事件では倭寇の略奪と推認し、と燃料投下に事欠きません。
このブログで何度も言っていますが、韓国の人は日本人を人間とみていません。
まずは魔族とかそんな感じに思っている節があります。
韓国で日本人擁護をしようものなら、お前は魔族を人間というのかという事になりかねません。
実際韓国で老人が日本擁護をしたがために若者から殴打殺害されるという事件や、親日とされた人が裁判にかけられる例がありますので。
対馬の仏像事件についていえば、相手を人間と思えば相手がどんな反応をするかに留意すると思いますが、この韓国浮石寺の僧侶は全く留意しているそぶりも見せていないように見受けられます。
これも日本人を人間とみていないということがよくわかる事例です。
政治の動きや国民への教育など、北や中国共産党の影あるかもしれませんが、それを感覚として韓国の人々が許容しているの現状といえます。
特に新聞の論調などをみればわかりますし、こういった新聞を見た韓国国民が日本人を人間とみるのはかなり難しい部類に入るのではないかと思われます。
ですから、韓国の人が日本に来て日本人が親切なのにびっくりしたということを美談のように新聞テレビが喧伝していますが、上述したように人間でないはずの日本人が人間めいた社会を作っているので驚いたというところが実際でしょう。
これは欧米中の人にも共通しますが、話が逆になっているのです。
日本人の中にも、韓国の立場になって考えましょうという人がいますが、それは韓国の人の目線で日本人を人間とみないということで語り合いましょうという話なので、ずれにずれまくります。
そんなわけで親切に韓国に寄り添ったはずなのに日本人から嫌われるなぜだろうという人は、そういった人々も日本人を人間とみなくなっているからということに気が付いていない可能性を考えた方がいいと思います。あえてやっている人は別ですが。
ここを抑えていないとわかりあうどころの話ではなくなります。
これに対して、仕方ないかとは思いますが、韓国の人々をこそ人間とみなさないと義憤にかられる人がいますがやめておいた方がいいです。
憎悪を燃料とした正義は、容易に暗黒面に落ちます。
スターウォーズはそういう面で優れた示唆を与える映画だと思っています。
そして、このブログでも触れました韓国の国民情緒法の先祖らしきもの。
朝鮮総督府時代には、朝鮮世論が騒乱となるような裁判をすると国際社会から日本が朝鮮をいじめているとみなされる恐れがあり、それを回避するために朝鮮世論に沿った裁判を行っていたようです。
〇「『日本の朝鮮統治』を検証する 1910-1945」(ジョージ・アキタ、ブランドン・パーマー、塩谷紘=訳)
これが全てとは言えませんが、少なくとも影響は与えているのではないかと。
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本当はね、韓国や中国の人に対して、日本人は巌として人間なのだよ、ということを認識させたいのだけれど第二次世界大戦の敗戦もあって難しいのかなあと思わざるを得ません。
欧米に対しては19世紀よりはいくばくかはましになった感はあるのですがね。
これは別に国と国との間だけじゃなくて、人と人の間でもある話。
私はあなたがどう思おうと人間だ。
私は、あなたが私を人間扱いしていようといまいと、あなたを人間と思う。
これができればいいけど、これができなくて苦しんでいる人が日本に世界にたくさんいる。
何人かでも、これができるまたはできる環境になることを祈って今回の筆を置きます。
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