「ギリシャ人の物語 II 民主政の成熟と崩壊」(塩野七生)
塩野七生の古代ギリシャ第2弾。
ペリクレス時代からアルキビアデス暗殺まで。
年代としては紀元前461年から紀元前404年まで。
この時代、ギリシャはペロポネソス半島を中心としたペロポネソス同盟とエーゲ海に広がるデロス同盟という2つの同盟に大きく分かれていました。ペロポネスス同盟の盟主はスパルタ、デロス同盟の盟主はアテネ。ギリシャの陸と海の両雄です。
アテネのペリクレス、スパルタのアルキダモス、ペルシャのクセルクセス、この3人が生きていた時代は、ペロポネソス戦役前半をはじめ様々な衝突があったもののギリシャ世界全体を揺るがせるものではありませんでした。
ところがこの3人が死去してからはアテネがいわゆる衆愚政に移行し、ギリシャ世界のバランスが変わってしまいます。ソクラテスを敬愛していたアルキビアデスも、アテネ市民が「愛した、憎んだ、それでも求めた」という姿でしたが、最後は暗殺されます。
既にアテネを支える人材は枯渇し、シチリア遠征は失敗、そしてアイゴスポタモイの海戦の敗戦でアテネはスパルタの属国となり、海外領土からの引揚げ、軍事解体とまるで大日本帝国の最後を見るかのような状況になります。
ペルシア戦役から75年でアテネは繁栄し没落します。
明治維新から世界大戦敗戦まで78年、似ていなくもない。
なお、コリントとテーベはアテネを更地にして全員殺すか奴隷にしろと主張してましたが、それはスパルタが止めました。スパルタの漢気のおかげで今もパルテノン神殿があるということのようです。
そしてペリクレスの家によく通っていて、そのためアルキビアデスが敬愛することになるソクラテス。彼はペリクレス以後衆愚となっていくアテネ、そして弟子ともいえるアルキビアデスが死んでからは盟主としての地位も失っていくアテネを、どんな思いで見ていたのでしょうか。
ご存知のようにソクラテスは最後までアテネを捨てませんでしたが、それはアテネに対する愛とともに、アテネに対する絶望だったのかもしれません。文章にすると陳腐になってしまいますが、意地だったのだろうと思われるのです。
次はあのマケドニア王アレクサンドロスが登場するのでしょうか、楽しみです。
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