「朝鮮人のみた中世日本」(関周一)
室町時代の日本の様子を当時日本を訪れた朝鮮の人々の資料から読み解いた本です。
この時代の朝鮮側の資料として宗希璟の「老松堂日本行録」、申叔舟の「海東諸国記」、朴瑞生の「朝鮮王朝実録」から引いています。
まず朝鮮の人が書いたのが海賊と遊女男色というのが面白いです。海賊はともかく風俗の面ではかなり日朝で意識の差があったことが伺えます。昔からこの手の話題には事欠かない国だったということでしょう。
その他日本と朝鮮の事物の差がいろいろあげられています。朝鮮は布貨幣、日本は宋銭を好んで使っていることろなど。
面白いことに、朴瑞生などは日本でみた水車(自転揚水車)に興味を持ち朝鮮での導入を試みているなど日本について興味をもって観察していますが、15世紀半ば以降の李仁畦の頃になると日本については興味がないのか日本評価は軽視の方向になっているところです。
朝鮮王朝も創世期を過ぎて安定期に入ると、海外に対する興味を失ってしまったのかもしれません。
あとこの本で書かれているのが1419年の応永の外寇(朝鮮名:己亥東征)。
朝鮮王朝の太宗が、対馬がかつて朝鮮領だったとして出兵したものです。
事前に情報が漏れないようにして朝鮮にいた日本人を591名拘留、分置、うち136名が死亡したというかなりのもの。
1万7千人余で出兵しましたが、最後糖岳の戦いに敗れて撤退しています。
敗戦したとはいえその後も、対馬はもともと鶏林(慶州)に属していたものと認識されていて、今に至っているみたいです。
ただ、その後の海東諸国記には対馬は日本という地図があったりして、だいたいはこっちの認識だったのだろうと考えられます。
朝鮮人から見た中世日本の様子ということで、現代とはまた違った見方ができると思います。
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