「道楽科学者列伝」(小山慶太)
~近代西欧科学の原風景
夏目漱石が「学問こそ最高の道楽」といったように、学問は必ずしも職業的性格をもつものでもないようです。
学問はいわゆる実利的な目的もありますが、一方で娯楽的な何か学んだり見出したりする喜びもあるはずです。
教科書にも載っている近代科学の偉人たちも、本職は別な例がたくさんあります。
プリーストリは牧師、ダーウィンは無職、真空実験のゲーリケはマクデブルクの市長、ライプニッツは外交官、ハーシェルは音楽家、光の干渉実験のヤングは開業医、遺伝法則のメンデルは修道院長とあげたらきりがないですが本職と関係なく科学分野で名を残しています。
そんな中、富と名声に恵まれた6人のディレッタント(好事家)の事績が紹介されています。
シャトレ侯爵夫人、ビュフォン伯爵、ラヴォアジエ、バンクス、ローエル、ウォルター・ロスチャイルド、富貴な者が金と才能をふんだんに使って歴史に名を遺す事績をあげる様は、あきれるべきか見事というべきか。
20世紀後半からはもうこんな風景は見られなくなりました。
<しかし、同時に、いわばその代償として、科学という営みから、ディレッタントの矜持と学問に向かう精神のおおらかさが失われてしまったような気がする。科学の猛烈な神秘と社会の変遷は、科学者の心の在り様をも、いつの間にか変質させてしまったのである。ごく一部の例外を除けば、科学の中心的な位置に愛好家の存在を認めることは、今後、ますます難しくなるのであろう。
そう思って、本書に登場した人々と彼らが生きた時代を振り返ると、やはり、それなりの羨望と郷愁を禁じ得ない。それは、失われて久しい本物のディレッタンティズムが、過ぎ去った時間を通して、輝いて見えるからであろう。>
最後の二段落に頷くところが大きいです。
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