女性天皇の議論が盛り上がっていて、果ては女系天皇という鵺の様な話が混ざってきています。
一体誰が何を考えているのか。
まずは歴史でしょ。
素人が女性天皇とその他について考察してみました。
<1.女性天皇>
歴史上女性天皇は10代8方おられます。詳細は有識者会議の資料が良いですね。
◆皇室典範に関する有識者会議(第3回)議事要旨
・資料3 歴代の女性天皇について(https://www.kantei.go.jp/jp/singi/kousitu/dai3/3siryou3.pdf)
背景は資料をご覧いただくとして、それぞれの方はどのようであったか簡単に。
~飛鳥・奈良時代~
(1)推古天皇
第29代欽明天皇の皇女で母は蘇我氏、第30代敏達天皇の皇后。第34代舒明天皇(敏達天皇孫)までの中継ぎ。後代の皇統なし。
(2)皇極天皇、斉明天皇(重祚)
父は茅渟王(第30代敏達天皇孫)、母は吉備姫王(第29代欽明天皇孫)、第34代舒明天皇の皇后。子である中大兄皇子・第38代天智天皇までの中継ぎ。
(3)持統天皇
第38代天智天皇の皇女で母は蘇我氏、第40代天武天皇の皇后。孫の第42代文武天皇までの中継ぎ。
(4)元明天皇
第38代天智天皇の皇女で母は蘇我氏(持統天皇のお母さんとは別)、草壁皇子(天武天皇、持統天皇の皇子)の妃。娘の元正天皇に中継ぎ。皇統に文武天皇など。
(5)元正天皇
父は草壁皇子(第40代天武天皇皇子)、母は第43代元明天皇。第45代文武天皇までの中継ぎ。後代の皇統なし。
(6)孝謙天皇、称徳天皇(重祚)
第45代聖武天皇の皇女で、母は藤原氏の光明皇后。政治的混乱の末、天智天皇の孫の第49代光仁天皇が継ぐ。後代の皇統なし。
~江戸時代~
(7)明正天皇
第108代後水尾天皇の皇女で、母は徳川秀忠の娘・和子。第110代後光明天皇までの中継ぎ。後代の皇統なし。
(8)後桜町天皇
第115代桜町天皇の皇女で、母は藤原氏。第118代後桃園天皇までの中継ぎ。後代の皇統なし。
基本的に皇統に戻すまでの中継ぎ的存在になっており、ご自身が新しく皇統となってはいない。
女性天皇は人身御供に近いよ。可哀想だからなるべくなしの方向で。
<2.人臣皇后>
聖武天皇の皇后、光明氏は藤原不比等の娘。初の非皇族出身の皇后となったが、前後で藤原氏の専横が目立つ。長屋王など天武系の皇族がどんどん滅ぼされていく。それだからか、最後は藤原氏嫌いに。
上皇后陛下。初の民間(平民)皇后となったが、旧皇族、旧華族の反発は大きかったらしい。実家が日清製粉創業者一族であるので、マスコミの攻撃もすごかったようである。
皇后陛下。周囲のバッシングは上皇后陛下に増してすごかったようである。両親が外務省とチッソということで攻撃材料には事欠かなかった。
女性ですらこのようである。
皇配となった者はもっと大変ではなかろうか。
<3.その他>
では実際の内親王配、女王配はいかに。
近いところでは、清子内親王殿下。お相手の黒田慶樹さんは皇女の結婚相手としては、皇族・華族出身者でない史上初の人物。二人のきっかけを作ったのはなんと秋篠宮殿下。策略家であらせられる。
清子内親王は皇籍を離脱。
もっと最近では出雲の千家国麿氏と高円宮紀子女王がご結婚。ちなみに出雲大社では宮司の妻であることから姫君様と呼ばれるそうだ。例としては挙げたがこれは民間と言わない方がいいかもしれない。典子女王も皇籍離脱をしたが、出雲は別格かも知らん。
つまり皇籍離脱をすれば何ら問題はない。
ただ、内親王や女王が皇籍離脱をすれば皇族が減っていってしまって大変ということでも女性宮家問題を考える人がいるのは事実。しかしそれは旧皇族復帰をすれば解決する問題でもある。そもそも女性宮家を作ったところで結局数が知れている。
明治期でも皇族以外が入って来ることを警戒して皇配問題は不可の方向で議論されてきた。女性でも男性でも世界中で外戚問題は議論されてきたのである。いわんや、意図を持って皇室のあり様を変えようとする組織体の策略を何故聞き入れて採用することがあろうか。
変革など耳障りの良いことを言っても、所詮は既存の防壁を破壊し権益をむさぼらんとする悪の組織の所業である。
やめとけ。
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