構造比較試論
村落共同体の懐かしさとそれに対する批判
その昔、昭和後期の田舎、村落社会ではいろいろ今と違った風景がありました。家の鍵は掛けない、よその子が困っていたら助けるし、悪いことをしていたら叱る。近所に困っている人がいたら世話をしてあげることもある。子供が酒タバコをお使いで買いに行く。とにかく人間関係が濃かった。小中学生から農機で家の手伝いをするし、風呂焚きは子供の役割。田舎とは言えど子供を大学に送るくらいできる家はたくさんあったし、みんな高い農機具を持っている。
この中のいくつかはもう少し人口の多い市街地でも当てはまるでしょう。
これを懐かしいというと反論する人たちがいます。
女性問題、環境問題、社会問題などの政治運動、政治家、宗教家など新思想と言われる人たちです。
古き良き田舎というのはしがらみが多く、特に女性の自由度が低い。他人のために自分を犠牲にしなければならないし、夫には逆らえず、妻が働いる間も夫はくつろいでいる。まあそんなところです。
言わんとすることはわかります。田舎では個人のプライバシーなどなくほぼ全部筒抜けですし、女性がかなり頑張っていて自由が少ないという本音もよく聞きました。
それは村落共同体ではなく集団の特性ではないのか
田舎に良い部分もあれば悪い部分もあるということはわかりました。さて、それは村落共同体の事だけで済むでしょうか。
新思想、つまり政治運動でも宗教運動でもその他活動でも良いですが、濃い人間関係、しがらみ、自由度の事についてどうでしょうか。
田舎にはプライバシーはないと言いますが、構成員の個人情報は集団の中では筒抜けだったりしませんか。構成員の家に出入りする敷居が低くありませんか。組織内での自由度が低かったり、組織に奉仕する時間が多く自分の本当に自由な時間が少なかったりしないでしょうか。組織の下の人は上の人に逆らえないとかないでしょうか。上級構成員は威張るだけで何もせず下部構成員は文句も言えず従ってないでしょうか。それでも困ったときは組織で助け合ったりしないでしょうか。組織の中だけの独特な決まりとかないでしょうか。
そう、運動や宗教や政治の共同体も村落共同体と要素は同じなのです。新思想はいわば土地に縛られない村落共同体の様なものと言ってもいいでしょう。
構成するのが同じ人類なのだから結果も似たようなものになります。
今回はこういったお話でした。
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