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2022年4月 7日 (木)

女性イラストへの批判に対する考察から

 メディアでも日常生活の中でも、よく発言する人あるいは言い過ぎとも思われる発言する人がいます。その中には何かと特定の分野での文化活動に割と否定的な人たちというのが存在します。例えば若い女性を描いたイラストが性的であって社会通念上よろしくないという主張をする人がいたりするわけです。言われたイラストレーターは作品を取り下げたりイベント自体が棄損されたり大変な影響があります。そういった事件のほとんどは実はそんなに問題視するほどのレベルのイラストではないのですが、文句があったということで事業体は対応せざるを得ないのです。また文句を言う人たちの主張の根拠にはポリティカルコレクトネスの考え方があるので、言っていることは過大かもしれませんが完全に間違っているとも言えないのが難しいところです。

 さて、文句を言う人の心の内はどうでしょうか。もちろん自分たちが正しいと思っていることを言っているのでその点では正直なのですが、それではなぜ正直になれるのか。自分たちが正義と思っていることを、合っているかもしれないし間違っているかもしれないが、とりあえず言ってみなければ伝わらないという米国的というか内部心理を外部投射して居場所を確保するという心理が働いているのかなと、そんな感じがします。自分たちが外部社会に居場所を確保しないと不安になるという状態です。こうした人は日本にも昔からいましたがあまり日本的とはとらえられていないですね。非日本的ともいえます。

 それでは日本的とはどういうことか。先ほどのとは異なり外部を内部心理世界に取り込むということになります。空気を読むとか世間体を気にするとかそんな感じですね。何かで自分の内部心理と外部社会が異なっているとき、合っているかもしれないし間違っているかもしれないが、外部に言うことは恥ずかしいことだという雰囲気があります。先ほどとは反対になりますね。

 こういった内部心理を外部社会に投射するのは、その人の人格の他に社会や組織の雰囲気があります。その反対の内部心理と外部社会がずれているときも言わないというのは、同じくその人の人格や社会、組織の雰囲気があると思います。その場合自分の中に不満を溜め込むことになりますが、そこは世間の方が忖度するというか気を利かせるというか外部が緩めてくれる仕組みがあります。もちろん完全に機能することはないですが、外に働きかけるというのが不道徳という社会でのバランサーといえます。

 どちらがいいんでしょうね。わいわいがやがや自論を主張して外部に戦場を構築する社会の方が明るくてよいのでしょうか。それとも、お互いが自重して雰囲気を汲み取って忖度して粛々と事が運ぶ詫び寂びのような社会がいいのか。

 よくわからなくなったので、本日はここまでにしたいと思います。

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