マスコミでない動き
マスコミは弱い者の味方を希求する。
強い権力者に抑圧されるか弱い市民、それを報道で照らすマスコミ。
輝かしきマスコミ。
しかし、いつしか弱い者の対象が変化していった。
在日外国人、様々な活動家、社会や文化に忌避感を持つ人たちなど。
確かに少数派で弱者ではあるが、しかしそれに対する存在になるのは多数の一般国民だった。
一般国民は困惑した。
マスコミは見め麗しいタレントや弁舌巧みな学者先生を導入し、国民に訴えた。
そして多数の国民を味方につけ、多数派である一般国民は罪の意識を植え付けられた。
それでもなお、マスコミの意見に異を唱える者たちがいた。
しかし彼らは弱者群、そしてマスコミに与した国民により悪者のレッテルを貼られ、社会から抹殺されていった。
時が流れた。
マスコミに反対する者たちが社会から排除されたり暗殺されたりする中、新たな流れが始まった。
新しい流れでは、マスコミに異を唱える者たちの中で次第に大きな影響力を持つ者の数が増えている。
また、マスコミの息苦しい教条主義を嫌って本来の人間らしさを取り戻す動きも出てきている。
この動きはやがて社会を正邪で決めてしまう教条主義の渦から人々を救うかもしれない。
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