陽キャが支配する世間
昔から日本の社会は空気に支配されているとよく言われる。
一つはそういう面がたくさんあるということ。
もう一つは、実は海外も同じようなものだということ。
そして空気というあいまいなものを理由にしようとしているが、実際に空気を作っているのは陽キャだということ。
この観点で社内の動きを見てみよう。
西暦2024年の現在では、PCを掲げた陽キャがオタクの作品である小説、マンガ、アニメ、イラストなど事あるごとに攻撃しているのはご存知のとおり。
表現の自由という多くの国で保障されているものが陽キャの気分でなぎ倒される。
リベラル、弁護士、政治家の多くが陽キャなので、オタクに味方してくれることは少ない。
その数少ない例外としてオタク側に立って奮戦してくれる人たちもいるが、陽キャの壁は厚い。
西暦1980年代末、宮崎勤事件が起こる。
幼女誘拐殺人犯がオタクだったということからオタクへの風当たりが強くなり、陽キャはオタクを攻撃しやすくなった。
以降現在に至るまで犯罪者や容疑者がオタクだとみなされると、報道で犯人容疑者はオタクであると伝えられるようになった。
陽キャはこのようにしてオタク=悪と一般人に刷り込むことに成功し、一般人はオタクを信頼しなくなる。
陽キャがオタクの活動を悪だと言えば、一般人はそれを信じる土壌が形成されたのである。
そしてオタクが陽キャの悪を責める場合においても、陽キャは自分は正しくオタクが言いがかりをつけているという流れに誘導し、一般人をだまして味方に付けることにより、告発したオタクの側が逆に悪だというように持っていくことができる。
陽キャは歴史問題事件でもサンゴ事件でも、逃げることで事件をなかったことにすることがある(リベラル新聞社な陽キャ)。
また、少女コンクリート事件や旭川いじめ事件で加害者が陽キャである場合は報道すら拒否する(コミュニスト子弟の陽キャ)。
そして陽キャの言い分は「死んだ被害者より加害者の未来が大事」なのだそうだ。
次回は海外での陽キャの暴走について取り上げる。
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