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2017年3月11日 (土)

roleとanti roleに想う

 知識人、文化人は地上にはない理想の国家、社会を夢見る
 愛国者、保守派は過ぎ去った理想の時代を追い求める

 しかし、理想が強すぎてanti roleとなった彼らは
 自分たちになびかない人を極右とか非国民とか言って
 嫌うようになる

 あるいは極右や非国民に準じるものとして人間扱いしなくなる

 そしてそれぞれの領域で壮絶な争いを繰り広げる
 互いをanti roleと罵りながら

 知識人だろうが愛国者だろうが
 理想に向かって行動するのがrole
 そしてroleの者は相手を人間とみる
 人間が好きなのだ

 原則を設けず、自由で柔軟であり
 社会のroleを高めることに興味がある

 なんとroleを語れば理想となり
 現実を見るとanti roleがなんと目につくことだろうか

 それでも私たちはroleの人が世の中に増えることを祈っている
 右でも左でも、人はなんと愛すべきものだろう

2017年1月28日 (土)

くっくりさんの1月28日の記事で雑感

◆対馬仏像韓国地裁判決で前住職「異次元の世界」「時空を超えた論理」「永遠に分かり合えない」- ぼやきくっくり
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid2008.html#sequel

 このところ韓国ニュースが逆の意味で人気ですね。
 いわゆる少女像(少女の慰安婦はいたら排除されますので史実とは異なると考えられます。また像の少女はどうも米軍轢死事件の被害者と言われているので背景が怪しいです)をプサンの領事館前に設置して日本をドン引きさせた後、竹島に韓国の道知事が上陸、そして韓国人が対馬の寺院から仏像を盗んだ事件では倭寇の略奪と推認し、と燃料投下に事欠きません。

 このブログで何度も言っていますが、韓国の人は日本人を人間とみていません。
 まずは魔族とかそんな感じに思っている節があります。
 韓国で日本人擁護をしようものなら、お前は魔族を人間というのかという事になりかねません。
 実際韓国で老人が日本擁護をしたがために若者から殴打殺害されるという事件や、親日とされた人が裁判にかけられる例がありますので。

 対馬の仏像事件についていえば、相手を人間と思えば相手がどんな反応をするかに留意すると思いますが、この韓国浮石寺の僧侶は全く留意しているそぶりも見せていないように見受けられます。
 これも日本人を人間とみていないということがよくわかる事例です。

 政治の動きや国民への教育など、北や中国共産党の影あるかもしれませんが、それを感覚として韓国の人々が許容しているの現状といえます。
 特に新聞の論調などをみればわかりますし、こういった新聞を見た韓国国民が日本人を人間とみるのはかなり難しい部類に入るのではないかと思われます。

 ですから、韓国の人が日本に来て日本人が親切なのにびっくりしたということを美談のように新聞テレビが喧伝していますが、上述したように人間でないはずの日本人が人間めいた社会を作っているので驚いたというところが実際でしょう。
 これは欧米中の人にも共通しますが、話が逆になっているのです。

 日本人の中にも、韓国の立場になって考えましょうという人がいますが、それは韓国の人の目線で日本人を人間とみないということで語り合いましょうという話なので、ずれにずれまくります。
 そんなわけで親切に韓国に寄り添ったはずなのに日本人から嫌われるなぜだろうという人は、そういった人々も日本人を人間とみなくなっているからということに気が付いていない可能性を考えた方がいいと思います。あえてやっている人は別ですが。
 ここを抑えていないとわかりあうどころの話ではなくなります。

 これに対して、仕方ないかとは思いますが、韓国の人々をこそ人間とみなさないと義憤にかられる人がいますがやめておいた方がいいです。
 憎悪を燃料とした正義は、容易に暗黒面に落ちます。
 スターウォーズはそういう面で優れた示唆を与える映画だと思っています。

 そして、このブログでも触れました韓国の国民情緒法の先祖らしきもの。
 朝鮮総督府時代には、朝鮮世論が騒乱となるような裁判をすると国際社会から日本が朝鮮をいじめているとみなされる恐れがあり、それを回避するために朝鮮世論に沿った裁判を行っていたようです。
「『日本の朝鮮統治』を検証する 1910-1945」(ジョージ・アキタ、ブランドン・パーマー、塩谷紘=訳)
 これが全てとは言えませんが、少なくとも影響は与えているのではないかと。

*****

 本当はね、韓国や中国の人に対して、日本人は巌として人間なのだよ、ということを認識させたいのだけれど第二次世界大戦の敗戦もあって難しいのかなあと思わざるを得ません。
 欧米に対しては19世紀よりはいくばくかはましになった感はあるのですがね。

 これは別に国と国との間だけじゃなくて、人と人の間でもある話。

 私はあなたがどう思おうと人間だ。
 私は、あなたが私を人間扱いしていようといまいと、あなたを人間と思う。

 これができればいいけど、これができなくて苦しんでいる人が日本に世界にたくさんいる。
 何人かでも、これができるまたはできる環境になることを祈って今回の筆を置きます。

2017年1月15日 (日)

1月15日の雑感

他人を人間とみなければ効率は上がる
他人を人間とみると効率は下がる

他の集団や他国の人を人間とみなければ議論の純度が上がる
他の集団や他国の人を人間とみると議論が複雑になる

動物と人間の別れは他人を人間とみる能力の有無
多少の効率低下と引き換えに、人間は社会を発展させてきた

残念なことに組みあがった社会の中では
他人を人間とみないことが最も効率が良くなる

社会資本を積み上げる個々の努力をroleとすれば
他人の積み上げた資本を掠め取るのはanti roleである

社会にroleの人が優勢であればその社会は栄え
anti roleの人が目立ってくるとその社会は衰える

2016年7月25日 (月)

田原総一朗「私が見た日本の転機」からの雑感

 7月17日のNHKラジオで田原総一朗氏の「私が見た日本の転機」を聞いて雑感。
 戦後レジームからの脱却を唱えていた安倍首相が、靖国参拝の時アメリカの「失望」を聞いて方針を変更したことがありました。安倍首相は以降戦後レジームからの脱却に言及しなくなりました。
 これを聞いて思ったこと。

戦後レジームからの脱却の行方

 2012年安倍内閣は戦後レジームからの脱却を主張していました。
 しかしながら2013年の安倍総理の靖国神社参拝に対して米国が「失望」の表現を使いました。
 米国にとって日本との戦争は正義の戦いであったので、米国が裁いたA級戦犯を無罪とする主張に対して否定的見解を示したのです。
 これ以降安倍内閣は戦後レジームからの脱却について主張することはなくなりました
 そして2015年米国議会演説で日本の無罪の主張を取り下げ過去の戦争を謝罪することで万雷の拍手を受けることになります。
 安倍総理にとっては皮肉な事となりましたが。

正義は並立させるのは難しい

 この事象は戦後世界の正当性によって生じるものでかなり複雑になってきているようです。
 先の例の様に日本が自国の正義を主張すると、日本(を含む枢軸国)を悪として戦った米国(及びその他の連合国)の正当性に挑戦することになるので、米国は反発することになります。
 悪である日本を正義である米国がついに倒したという物語が戦後米国の誇りなのです。
 同じことは他のABCD諸国、英国、中国、オランダの国の物語として語られます。
 特に中国は建国の根本として日本を倒したことになっています(注:中華人民共和国の建国は1949年)。
 同様に韓国北朝鮮も建国の理念として日本を倒したことになっています(注:韓国、北朝鮮の成立は1948年)。
 ソ連も同じく日本を倒して北方領土を戦い取ったという立場です。
 だからというべきか、日本が自らの正義を主張すると戦勝諸国の正当性に傷をつけることになり大いに反発するのです。
 日本が日本の立場を表明すると、戦勝諸国は歴史修正主義とか反省していないとか必ず言います。
 そうなのです、日本が悪でないと自らの正当性が揺らぐからです。
 逆に言うと自らが正義であるためには日本は悪である必要があるのです。
 戦後レジームからの脱却、すなわち東京裁判で事後法によって裁かれたA級戦犯他を無罪とすることは、この様な難しさを含んでいるのです。

自分だけは正義だ~世界市民

 日本を悪と考えるのは何も外国人だけではありません。
 日本が悪であると信じて外国に認めてもらおうという人もいます。
 これが世界市民です。
 世界市民は、日本人のままでは外国人に悪として扱われ人間扱いされないのを嫌い、同胞である日本人を非難することで戦勝諸国の人に協力し、人間と認められるように振る舞うことにした人々です。
 したがって、決定的に世界市民と日本人の相性は悪い。
 更に世界市民は戦勝国民と同じ物語を共有しているので、自分たちこそが世界標準であり、罪を認めない愚昧な日本人を指導する権利と義務がある、と思い込んでいる節があったりします。
 溝は深いです。

果たして他国を悪にした自国の正当性は堅固か

 日本側から見るとひどい話なのですが、さて、他国を悪とした自国の正当性はしっかりとしたものなのでしょうか。
 中国韓国をみると少し疑問に思います。
 これらは「悪日本を倒した」ことを正統の礎にしている国です。
 政権の正統が揺らぐと日本たたきを行うのは単なるガス抜きではなく、日本が悪でないと困るからでもあります。
 実際には日本が悪ではないことを我々は知っていますから、これらの国は存立が幻想の上に成り立っている、基盤がかなり危うい国であることが想像できます。
 大日本帝国が鬼畜米英と言って戦いそして敗れた時の虚脱感は、別に日本特有のものではないと言っておきましょう。

自国の誇りを維持しながら、不毛な努力を避ける

 今回の記事は結論めいたものを書きません。
 日本の正義は誇ることはできますが、日本から自慢するものではありません。
 戦勝諸国その他は、日本が悪という前提で歴史を語りますが別にそれが正しい歴史というわけではありません。

 自国の誇りを他国の正義で見失うことのないように、
 他国の正義を否定するために自国の自慢を行うことのないように、
 他国は決して自らの正義を捨てないので、議論で勝とうとして不毛な努力をすることのないように。

 これで何かが解決するわけではありません。
 しかし、あなたが他国から責められたり、他国から利用されそうになった際には役に立つかもしれません。

2016年6月19日 (日)

子供や若者を利用する共産党、への雑感

◆ぼやきくっくり | 子供や若者を利用する共産党…Tweetまとめ16.06.01~16.06.15:
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid1897.html

 くっくりさんの6月18日の記事について思ったことを。

 相手の気を引く行為をして自分に従ってもらう、又は自分のやりたいようにする、というのは動物ではプロポーズなど高等な技能の一つであります。
 一方、嫌がらせをして相手に言うことをきかせる、又は自分のやりたい様にやる、というのもまた動物の高等な技能であります。

 共産党等の野党及び新聞社テレビ局の多くが行っているのが、後者の方法であります。
 暴力団の行為や、中国が日本等の外国に行っているのもこの様式であります。

 動物の世界においてはどちらも同じ様に有効な手法であります。
 ですから、人間でも動物と同じ様な行動をとることができるのであります。

 それでも、後者の方法を良くないと考える人間もいるのであります。
 何が差になっているのでしょうか。

 それは相手を人間とみているかみていないかの差ではないでしょうか。

 共産党等の野党及び新聞社テレビ局の多くは、この場合、相手となる政府与党も日本の人々も人間ではないものとして取り扱っているのであります。
 それが彼らへの違和感の源なのであります。

 彼らは日本人を人間とみることを止めた人々なので、自分たちがやっていることが奇異な目で見られている理由がわかりません。
 むしろ日本人は自分たちの世界観がわからない、やはり人間ではない者たちだとの思いを強化するだけでありましょう。

 また、彼らが行っているのはゲームでしかありません。
 先ほど述べたように日本の人々を人間とは見ておりませんので、まるでゲームのモンスターとして見ておりますから、勝てば意気揚々、負ければ悪罵ということをするのみであります。

 この様な彼らでありますので、自分たちが勝ったとて実際に何かができるわけではありません。
 本隊はその後で来るのです。
 彼らはその尖兵たる役割であるのです。

 全く生産的とはいえないことながら、この思想的な暴力行為をいなしてくしかないのであります。

 なお、彼らが日本人を人間とみていないからといって、共産党等の野党及び新聞社テレビ局の多くを人間ではないと断じるのは危険であります。
 彼らと同じ暗黒面に落ちれば、彼らの餌食として不本意な使われ方をするからであります。

 ああ、本物の野党、本物の左翼が欲しいのであります。

*****

◆NHKラジオ(0618)
【アジアリポート】
○カンボジア・プノンペン 倉田浩伸
 胡椒農園経営のレポーターさんの胡椒の話。
 胡椒は雨が好き、日陰が好き、だから胡椒栽培には熱帯雨林気候が向いているのです。
 その他胡椒のこととか、イカの緑胡椒炒めは要記憶。
 白胡椒って発酵食品だったんですね。

○タイ・チェンマイ 福間眞子
 チェンセーンのお話し。
 チェンマイから北250kmの田舎町。
 旧ラーンナー王国のゆかりの地で、アユタヤやスコータイよりは小さいですが歴史のある町です。
 いろいろな貴重な動物が生息しています。
 その他チェンセーンの伝説など。

2016年5月 4日 (水)

昨日の憲法記念日に寄せて、不思議な物語

 加座国と多奈国がありました。
 加座国に住む聖人・規仁が争いはいけないと唱えました。

 ある日、規仁聖人は多奈の国人を殺し、これを食べました。
 多奈の人々は怒り、里の者は多奈の聖人・智覧に加座の国に攻め入ろうと迫りました。
 智覧聖人は争いはいけないと言ったので里の者は帰りました。
 谷の者は加座の規仁聖人の所に武具を打ち鳴らして攻め入りましたが、規仁聖人が争いはいけないと言ったので帰りました。

 また別の日、規仁聖人は多奈の女子を捕ってこれを食べようとしましたが、兄の少年が規仁聖人を武具で打ち据えて追い払いました。
 規仁聖人は智覧聖人に争いはいけないと言ったので、智覧聖人は兄妹を捕え兄を刑死とし妹を規仁聖人に渡し、規仁聖人はこれを食べました。

 この物語についてあなたが思うところを述べてください。

2016年4月24日 (日)

ぼやきくっくりさんの国連「表現の自由」特別報告者記者会見記事からの雑感

◆左派に占拠された国連「表現の自由」特別報告者記者会見(ぼやきくっきり)
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid1873.html

 くっくりさんの記事です。
 連続ですみません。
 リベラルが国連を自己利用しようとしていていくらかは目的を達成していたみたいですが、やり過ぎて嫌われてもいるみたいですね。
 何をやっているのだか。

 今回はこうしたリベラルのうち自己主張の激しい群(リベラルA群)についてその傾向と対策を考えたいと思った次第です。

中心世界と辺境世界

 まず、世界と日本の立ち位置を見た場合、西洋が中心世界、日本が辺境世界ということになります。ちなみに清国(中国)(+朝鮮)はもう一つの中心世界(中心世界2)と見ることができます。
 この他、もう一つの極であるコミュニストがあります。
 これは反中心世界、反蛮族という特殊位置にあります。コミュニストは各社会の弱者を救いたいというrole(善)を持って生まれました(マルクスはそれを希求していました)が、ほどなく世界と社会を巻き込んだ権力闘争というanti role(悪)の存在が前面に出てしまい、以来roleがほとんど表に出てこない状況です。もちろん本人たちは自らをroleだと思っています。
 本来はリベラルとコミュニストと分けて考えないといけないのですが、今回の日本人を人間と見ないという面では共通していますのでリベラルA群という呼称まとめておきます。

リベラルA群の愛

 中心世界は日本を蛮族と見ています(イメージです)。リベラルとして中心世界に認められたい。こうしてリベラルA群が生まれます。
 ここで中心世界に認められないのは自分に実力がないのではなく、日本人だからだという認識を持ちます。なんとなくですので全員がそうなるわけではありません。ここで中心世界嫌いになって民族派に転向する人もいるかもしれませんが今回は省略します。
 恋する中心世界に認められるために、日本という蛮族を非難することで一員として認められたいという考えが湧き上がります。まさに恋心。
 中心世界が日本人を蛮族で人間と見なしてないように日本人を人間としてみない(イメージです)。英語公用論、キリスト教化論、日本未開論、クジラ論、女性論、南京事件、慰安婦問題そして中心世界に物申さない。

 これだけすればリベラルA群は中心世界に認められるでしょう。
 と思っているはずですが、本質はどうなのでしょう。日本を批判することで中心世界の一部からは喝采を浴びることとなるでしょうが、それで中心世界の一員となっているか。もしかしたら蛮族の草と見られて、表面的にしか仲良くしてもらえないかもしれません。
 今回の記者会見の振る舞いがそれに近いようにも思われます。

 これがおそらくリベラルA群が中心世界に恋焦がれ、日本人を蛮族として中心世界に告発するエネルギーでしょう。
 正確な表現ではないかもしれませんが、方向性はこちらだと。
 リベラルでも本当に実力のある人は、中心世界に媚びへつらって日本人を蛮族視したりしないと思うのですけどね。
 そして本当に実力のない人は、どんなに日本人を蛮族視しても中心世界から認められないでしょう。誰か今回いたようですね。

なぜ日本のリベラルは本物ではないのか

 リベラルA群は、中心世界に憧れ中心世界の人から認めてもらいたい、中心世界から他の日本人と同じ蛮族扱いされるのは嫌だという心の流れがあるように思えて仕方ありません。そして同様に中心世界のリベラルと同じということで日本人から尊敬を受けたいという心理もありそうです。結果日本人は蛮族だが自分たちは違うと思いたいリベラルA群が大量生産されます。日本の中でいわば貴族的立ち位置にありたい。だから日本のリベラルは中心世界のリベラルと異なり同胞を人間としてみないという姿勢が目立つことになります。これが本物のリベラルといえるでしょうか。
 だから外国のリベラルと同じように政府批判をしても、国民の方をみていない。国民の役に立つことなど眼中に無いのです。
 その姿勢のままで日本は本物の議論ができないとして日本を蛮族と呼びたがりますが、そもそもの原因が文句を言っているのです。どの口が言うか。
 コミュニストが混じっているとはいえ、いったい国民に冷たいリベラルなんて日本以外にあるのでしょうか?

メディアとインターネット

 リベラルA群が、特にメディアと親和性が良すぎる現状は問題があります。記者クラブに代表されるようにメディアの閉鎖性が日本で目立ちます。ちなみに国境なき記者団による世界報道自由度ランキングで日本は2015年に61位、2016年現在では72位です。リベラルA群などは政府の姿勢を理由にしたいみたいですが、それだけではないことはレポートからわかります。政府の努力だけでは無理なのでここを何とかしないといけません。どのような政権であれ記者クラブが残っていたら本当の報道の自由なんて夢のまた夢でしょう。
 そのような中で特に言いたいのは日本のマスコミの中の人や評論家のリベラルな人の能力の不足です。ジャーナリストやリベラリストの称号だけで、能力に疑問を感じる人が多すぎます。よくがんばっていますね程度ではちょっと問題があります。例えばショーンK氏の問題がありましたが、素人に勝てないようでは情けなくなります。少なくとも池上氏クラスの人がそこそこ大量に必要です。
 一方Freedom Houseによると世界のインターネット自由度ランキングで日本は9位だそうです。比較対象が違うとはいえこの順位の差は面白いです。
 インターネットが普及を始めて20年くらい経ちました。よく年齢が高い人はまだテレビや新聞が主でインターネットはあまり使わないし、年齢が高い方が影響力も大きいという声があります。しかし、これが30年40年とかになったらどうなるでしょうか。インターネットに触れる機会がない人の方が少なくなってくるのではないでしょうか。記者クラブの優位性が崩れるとしたらこの流れになると思います。
 もちろん、記者クラブもリベラルA群もインターネットを使いますのでインターネットが流行ったら全て良い方向にいくというものではありませんが、リベラルA群が占有するという事態だけは解消することができるのではないでしょうか。

リベラルと民族派

 リベラルと対極なのが民族派ですが、民族派は中心世界からみると蛮族が蛮族たる理由のようにしか見えません。リベラルA群から見るとリベラルが国民を指導(実際は支配か)しようとする際の邪魔者にしか見えません。そのような背景からリベラルA群は民族派をanti roleとして非難し続けます。リベラルA群が日本人を蛮族と見なすanti roleを延々と続けるので、自然とリベラルに対して反anti roleになります。このコラムで何回も言っていますが反anti roleはanti-anti roleとなって最後にはanti roleとなります。リベラルA群や中心世界に散々悪口を言われてきた民族派はついにはリベラルや中心世界の人間を人間と見なさない行動に出ます。これが民族派A群の出現です。
 こうして日本人を人間と見なさないリベラルA群はついにはパヨクという称号を、リベラルと中心世界の人間を人間と見なさない民族派A群はネトウヨという称号を与えられ、自分達はroleで相手がanti roleだという争いを延々と続けることになります。
 エネルギーの無駄遣い、全くの不毛です。

本当のリベラルに出てきて欲しい

 日本が世界との関係を開始した19世紀以来中心世界は日本を蛮族と見ているという視点は不可欠です。
 しかし、そこで中心世界を真似て同胞を人間と見なさないとか、中心世界の傲慢を糾弾して中心世界の人間を人間と見なさないとか、そういうことをやるとanti roleになるという危険性を認識すべきでしょう。
 リベラルは「自分が認められる」のではなく「日本人が認められる」ようなやり方が何故できないか考えてみてもいいのです。
 「日本」というと国家主義であるとしてリベラルやコミュニストは嫌いますが、「日本人が」ですよ。
 日本人が中心世界と同化すれば解決するという考えが明治以来よくありますが、それはリベラルではなく文明破壊であって人類社会からみてanti roleです。
 日本人を蛮族と見なしているリベラルA群の人たち、あなた方が貴族然としていると日本人が困ります。
 日本人はリベラルA群の奴隷ではないのです。

 そんなわけで本当のリベラルに出てきて欲しいのですが、夢のまた夢でしょうか。

2016年4月21日 (木)

くっくりさんの熊本地震の記事から、自衛隊とマスコミと、誰がいつか来た道になるか

◆熊本地方を襲った二度の大地震で思ったこと(ぼやきくっくり)
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid1871.html

 くっくりさんのところで熊本地震についての記事がありましたので。
 そして、有名な以下の記事がありましたので。

◆被災者の疑問「そういえば自衛隊員がご飯を食べているのを見たことがない…」→衝撃の真実が明らかに | netgeek
http://netgeek.biz/archives/71275
(しんしんのお店・店長ブログさん経由)

◆仙台放送、関連会社社員の虚偽ツイートを謝罪 関テレ中継車の割り込み給油めぐり - ITmedia ニュース
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1604/19/news170.html
(しんしんのお店・店長ブログさん経由)

 今回は自衛隊(第3列、軍事)、マスコミ(第5列、情報)について述べたいと思います。
 マスメディアは自分たちの勇姿しか見せませんので、いきおい情報がネット中心になってしまいますがそこは割り引いて考えてください。

 自衛隊の心意気と心遣いは毎回大したものです。
 自発的なものもありますが、旧大日本帝国軍の威信が地に落ちたことが大変大きいのです。
 常にroleであり続けなければ、国内からも国外からも存在を否定される。
 状況と教育が国民の信頼を得ている理由の一つでしょう。

 一方、メディアはrole(役割)を発揮しようと頑張りますが、心遣いに少々欠けているようです。
 具体的に言うと国民をモノ(取材対象)としか見ていない、国民に迷惑をかけないという最低限の道徳を発揮できない、など。
 メディアが国民の為にあるのではなく、国民がメディアの為にあるのだ、という貴族思想が垣間見えたりします。
 更には、野党やリベラルのあまり意味のない政府、自衛隊批判を、無自覚に文字や電波に乗せて、それを以てrole(政府批判、確かにこれもメディアの役割の一つだが…)としています。
 我々メディアはがんばっています、という姿勢です。
 しかし、今回の政府、自衛隊批判は、国民の役に立つ話がどれくらいあったでしょうか。
 これはひょっとしたら国民にとってanti roleな話にならないか、と自省したことはあったでしょうか。
 マスメディアにはそれぞれに判断部門を持っているのでroleかanti roleかの議論はあるはずです。
 だから表に出てきたものは、マスメディアにとってはroleと判断されたもののはずです。
 しかし、いくつかの案件は国民からanti roleとみなされています。
 ここの差異が、おそらくメディアの貴族意識、国民をメディアの下に見る思想が現れていると見ることができるのではないかと。
 そのような姿勢なので、普段貴族然としているメディア職員がtwitterや給油で失敗したりする。
 如何に国民を下に見ているかが、わかってしまうのです。

 かつて宗教は人々の希望でしたが、物理的に人々を救うことはできず、絶望となりました。
 かつて軍事は人々の希望でしたが、自と他を破壊することしかできず、絶望となりました。
 そして経済は人々の希望になるかと思われましたが、富と貧困の差の拡大を出現させ、絶望となりつつあります。
 今、情報とそれに付随するリベラルが人々の希望の様に振る舞っていますが、あなた方はどこに行こうとしていますか。
 もし、かつての希望たちの振る舞いの過ちを繰り返すならば、それは絶望への道となることは確実でしょう。

 お気楽に政府自衛隊批判している場合ではないのですよ。
 それとも旧日本軍の様に完膚なきまでに解体されるのがお好みですか。
 いつか来た道というのは自分たちにも適用されるという怖さをわかっていますか。

 人間、一度やらかさないとわからないのでしょうか。
 わからないのであれば、明治以来のマスコミというものは一度消えて欲しい。
 本当にroleがわかっているものが情報通信を担うべきでしょう。

2016年3月30日 (水)

中国の言論統制の話題とくっくりさんの記事とで雑感

◆NHK(0330)
○ワールドリポート 北京・中国総局
 中国の言論統制とネットメディアの苦悩の話題。
 中国共産党機関紙と政府系メディアに対して、習主席が「党と政府が主管するメディアは塔を代弁しなければならない」と発言、世論を正しく導かねばならないとしたそうです。
 この流れで、党を批判的な記事を書いたメディアの人間がアカウント削除や拘束される事態に。
 反体制への言論の締め付けが高まっているようです。
 放送では、自由な言論の制限から革新的なビジネスが生まれるか疑問、厳しい政府の対応は市場参入を計画する企業にも波紋を投げかけそう、と言及。

 といった話題がありまして、先日くっくりさんのところで

◆岸井・田原・鳥越・大谷・青木が安倍批判で鬱憤晴らしも、質疑応答では内ゲバ、「記者クラブ」を突っ込まれてグダグダに(ぼやきくっくり)
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid1861.html

 この話題が出ましたので雑感を。

 さて、C国の様子を図示するとこんな感じ。

16033001

 C国の党・政府はきれいな統治を目指していて党・政府が批判されて社会が混乱することを避けようとしています。
 ただ、この方式だとrole(社会に有用)な批判も疎外されます。
 結果、党・政府をanti role(社会に有害)とみなす勢力が、反anti roleとなって、反政府に動き更に政府の締め付けが厳しくなるという悪循環が起きます。
 きれいな統治ではroleな人材が制限されるのでなかなか全体の社会資本は増加しません。
 そこで外資の導入が考えられますが、外資は安定しているわけではありません。
 結果、社会資本を増加させるために国外領域への侵出(東シナ海、南シナ海、インド)あるいは国外領域からの収奪(アフリカ、東南アジア)を進めることになります。
 C国指導部がこの方式を採る限り国内外との摩擦は出てきてしまいます。
 きれいな統治を目指していながら、きれいでない結果が予約されているのは皮肉です。

 次にN国ではリベラル系のマスメディアは図のように政府批判を行うことができて、それ自体はそれほど変ではありません。

16033002

 ところがリベラルはあまりにも真面目に政府をanti roleとみなしているので、政府を支持する世間やネットまでもanti roleの一派とみなしてしまっています。
 すなわち政府と政府を支持する人間を、人間とみなしていないのではないかと思われる様子がうかがわれます。
 しかしこれではリベラルが一般から好かれるわけはなく、リベラルは何故自分たちが嫌われるかおそらくわかってないので、自分達を理解できない一般人をますます人間とみなさなくなり、リベラルだけでサークルを作るようになります。
 そうしたリベラルが見る世界は、

16033003

 これはC国の状況と同じになります。
 だからリベラルが言う報道の自由の侵害、対外侵出の危険といったものは、実にC国と全く相似なのです。
 リベラルはC国が行いそうな失敗をN国に対して忠告するという、なんだかよくわからないことをしているように見えます。
 たぶん外国の人は?と思ったとこでしょう。
 そして面白いことにリベラルはC国を批判していないのです。
 何なんですかね。

 説明の簡単のためにいろいろちょっと端折っていますのでご注意。
 それにリベラルが無垢で純粋な人だけではないので、そこは頭の中で応用してください。

*****

◆NHK(0330)
○WN メキシコ・プエブラ 酒井美樹
 メキシコの世界遺産の水道橋の話題。
 アステカがスペインに滅ぼされた後に建設されたものですが、建設は地元住民の自弁で行われたそうです。

○ワールドリポート ブリュッセル 
 ブリュッセルのテロから一週間の話題。

2016年2月 9日 (火)

リベラルに関する一考察その他

 日本ではリベラルと言えば進歩的でありがたいものという雰囲気があります。しかし子細に観測してみると何か日本人を人間として見ていないのではないと思われる節があります。
 そしてそのリベラルが日本人を人間として見ないという雰囲気に対して、何か義憤に駆られた者が国士となっている。つまり国士はリベラルに対する反射で生成したのではないかと思われるところがあるのです。

 リベラルが何故日本人を人間として見ないか、その理由として世界の名だたる国々が基本的に日本人を人間として見ていないからというのが挙げられると思います。その結果として世界に同調し元々の同胞を人外として見るに至るのです。
 リベラルにとって基準は世界であり、リベラルに同調しなかったり反発したりする人間は未開で野蛮な者としか見えないのです。ましてや日本独自の思想などは世界への反逆だとリベラルは考えるのです。

 それではこうした独善的にも見えるリベラルに対して国士は正義の人かというと、本人はそう思いたいのでしょうが少し違うようです。国士は自らの考えをリベラルへの対抗としますが、またリベラルの源泉たる外国へも対抗するので排外主義となりやすいのです。また、国士の考えに同調しない者も人間とみなさないのです。
 結局リベラルも国士も日本人を人間と見ないということでは共通しているということになります。

 さて、リベラルの源泉である名だたる外国では、やはりというか日本人が人間であると思っている人はけっこう少ないのです。ですから日本人が悪行をしている、していたという話題についてあっさりと信じたりします。為にするニュースや映画は真偽を確かめるまでもない、重大な情報源として扱われるのです。
 ただ、これらは単なる情報なので実際の外国人旅行者は日本人と出会って日本人が人間であることに驚いたりもします。

 このようなことは対日本だけではなく世界の国、民族、宗教、政治組織、企業集団など、様々な組み合わせで起こっています。特にある集団に属していると、特定の他の集団の人を人間とみなさないという空気が生じたりします。それは昔話や物語のように当たり前のものとして認識されます。
 既にそこには人類愛というものは存在しませんし、通用もしません。

 ここで言いたいことは、だから他人が自分を人間とみなさないことを赦しましょうとか、他人が自分を人間であると認めさせましょうとかそういうことではありません。
 相手がどのような立場の人であれ、自分ができることは一つ、自分は人間である、相手も人間であるという姿勢を貫くことだと思います。
 他人に思想を強制するのは愚かなことなのでお勧めしません。
 リベラルや国士の姿を他山の石として考えることを推奨します。

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