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2023年8月23日 (水)

地味にすごい

 あまおちりん氏が全漁連の坂本会長と岸田総理のやりとりの深さを解説。

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 相対論も量子力学も理解できないレベルの界隈では、処理水のことも理解できないよね。

2017年1月28日 (土)

くっくりさんの1月28日の記事で雑感

◆対馬仏像韓国地裁判決で前住職「異次元の世界」「時空を超えた論理」「永遠に分かり合えない」- ぼやきくっくり
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid2008.html#sequel

 このところ韓国ニュースが逆の意味で人気ですね。
 いわゆる少女像(少女の慰安婦はいたら排除されますので史実とは異なると考えられます。また像の少女はどうも米軍轢死事件の被害者と言われているので背景が怪しいです)をプサンの領事館前に設置して日本をドン引きさせた後、竹島に韓国の道知事が上陸、そして韓国人が対馬の寺院から仏像を盗んだ事件では倭寇の略奪と推認し、と燃料投下に事欠きません。

 このブログで何度も言っていますが、韓国の人は日本人を人間とみていません。
 まずは魔族とかそんな感じに思っている節があります。
 韓国で日本人擁護をしようものなら、お前は魔族を人間というのかという事になりかねません。
 実際韓国で老人が日本擁護をしたがために若者から殴打殺害されるという事件や、親日とされた人が裁判にかけられる例がありますので。

 対馬の仏像事件についていえば、相手を人間と思えば相手がどんな反応をするかに留意すると思いますが、この韓国浮石寺の僧侶は全く留意しているそぶりも見せていないように見受けられます。
 これも日本人を人間とみていないということがよくわかる事例です。

 政治の動きや国民への教育など、北や中国共産党の影あるかもしれませんが、それを感覚として韓国の人々が許容しているの現状といえます。
 特に新聞の論調などをみればわかりますし、こういった新聞を見た韓国国民が日本人を人間とみるのはかなり難しい部類に入るのではないかと思われます。

 ですから、韓国の人が日本に来て日本人が親切なのにびっくりしたということを美談のように新聞テレビが喧伝していますが、上述したように人間でないはずの日本人が人間めいた社会を作っているので驚いたというところが実際でしょう。
 これは欧米中の人にも共通しますが、話が逆になっているのです。

 日本人の中にも、韓国の立場になって考えましょうという人がいますが、それは韓国の人の目線で日本人を人間とみないということで語り合いましょうという話なので、ずれにずれまくります。
 そんなわけで親切に韓国に寄り添ったはずなのに日本人から嫌われるなぜだろうという人は、そういった人々も日本人を人間とみなくなっているからということに気が付いていない可能性を考えた方がいいと思います。あえてやっている人は別ですが。
 ここを抑えていないとわかりあうどころの話ではなくなります。

 これに対して、仕方ないかとは思いますが、韓国の人々をこそ人間とみなさないと義憤にかられる人がいますがやめておいた方がいいです。
 憎悪を燃料とした正義は、容易に暗黒面に落ちます。
 スターウォーズはそういう面で優れた示唆を与える映画だと思っています。

 そして、このブログでも触れました韓国の国民情緒法の先祖らしきもの。
 朝鮮総督府時代には、朝鮮世論が騒乱となるような裁判をすると国際社会から日本が朝鮮をいじめているとみなされる恐れがあり、それを回避するために朝鮮世論に沿った裁判を行っていたようです。
「『日本の朝鮮統治』を検証する 1910-1945」(ジョージ・アキタ、ブランドン・パーマー、塩谷紘=訳)
 これが全てとは言えませんが、少なくとも影響は与えているのではないかと。

*****

 本当はね、韓国や中国の人に対して、日本人は巌として人間なのだよ、ということを認識させたいのだけれど第二次世界大戦の敗戦もあって難しいのかなあと思わざるを得ません。
 欧米に対しては19世紀よりはいくばくかはましになった感はあるのですがね。

 これは別に国と国との間だけじゃなくて、人と人の間でもある話。

 私はあなたがどう思おうと人間だ。
 私は、あなたが私を人間扱いしていようといまいと、あなたを人間と思う。

 これができればいいけど、これができなくて苦しんでいる人が日本に世界にたくさんいる。
 何人かでも、これができるまたはできる環境になることを祈って今回の筆を置きます。

2016年11月 9日 (水)

蔵の中からすごいものを発見した話

◆今から何十年も開かずの間だった蔵を探索する(前半)
http://hamusoku.com/archives/9403961.html

◆今から何十年も開かずの間だった蔵を探索する2(後半)
http://hamusoku.com/archives/9403995.html

◆今から何十年も開かずの間だった蔵を探索するする3(延長戦)
http://hamusoku.com/archives/9404655.html

 蔵を探索していたらとんでもないものを見つけてしまった。
 どうしよう。

 続きがきになるところ。

2016年11月 6日 (日)

くっくりさんのサイトを見ていて、ふと愛国心について思ったこと

◆保守色あふれる笑い飯哲夫の“仏教コラム”が面白い(ぼやきくっくり)
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid1968.html

 くっくりさんも書いていますが、一時期より保守的な論調を表明しても排除されなくなったような雰囲気は感じます。
 とはいえ、あさパラ!は前からそんな感じだった様な気がするので東京の方を確認しないと何とも言えないのですが…

 今回は保守的というか愛国的なものについて。

 例えば愛国的というとまず祖国を愛するとか、祖国と決めた国を愛するとかになると思います。
 それは他国の人を人間とみなさない、という負の感情は基本的には入っていない。
 それはちょっと愛国心とは別物の邪なる心といえるでしょう。

 一方で、愛国心を認めない人々がいます。
 例えば日本への愛国心を持つ人に対してこうした人々は負の感情を持つのでありますが、それはまるで日本の人を人間とみなさないという表現になってしまっています。
 実際にも日本人を人間とみなしたくないからそうなっているようではありますが。
 それらの人々は、日本の愛国的な人は他国の人を人間とみなさないと信心しているのかもしれませんが、上述したように愛国心と他国の人を人間とみなさないというのは同列ではありません。
 明らかにあるいは指嗾されて愛国心と他国嫌悪を同一にしてしまう論理を組み立てようとする複数の連中がいるのでしょう。
 日本人を人間とみなさない人々の希望することは、ひょっとすると、愛国心を持つ人が他国の人を人間とみなさない心を同時に抱くことであるのかもしれない、それによって愛国心が邪心であると言い募ることかもしれない。

 そうでなければ愛国心がこのように負の意味で使われることはおかしい。

 もう一つ言えば、愛国心は他国の人を人間とみなさないという負の感情を入れてはいけない。
 愛国心と他国嫌悪を混在させてしまうことは、例えば普通の愛国心を持つ人に他国を嫌悪する心を許可してしまうことになる。

 愛国心に負の感情を入れてはいけない。
 これが切なる願いであり、日本人を人間とみなさない人々へのイージスでもあります。

2016年8月20日 (土)

くっくりさんのブログから、DVと中国の尖閣領海侵入との雑感

◆覚えておきたい!「DVをする人を見分けるための共通点」に納得する人が続出 | BUZZmag
http://buzzmag.jp/archives/62519
(しんしんのお店・店長ブログさん経由)

≫「冗談、冗談(笑)」と言いながら、ひどいことをする人。実はそれは「冗談」なんかではなく、心の底では相手を試しているのだという指摘。

 確かに。
 冗談や無礼を演出して相手を試しているというのは、個人でも集団でも相手を隷属できるかを試しているのだと。
 心しなければなりませんね。
 一方で、冗談や無礼で相手を傷つけないように、自らを律しなければなりません。

 本当に。

 そんな思いを強くする、くっくりさんのブログの話題。

◆陛下のお言葉の変化を報道しないメディア・バイデン憲法発言・中国の尖閣領海侵入など 青山繁晴「虎ノ門ニュース」(ぼやきくっくり)
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid1931.html

 靖国神社に対する中国政府及び付属機関による種々の嫌がらせの件。
 米国政府及び諸機関の無神経な発言の数々。
 中国の尖閣諸島水域へのちょっかいの数々。
 韓国の竹島での示威行動。

 これも国家が国家に対して反応を試し、隷属できるかどうかを調査しているのでしょう。
 相手が怒ったら、冗談冗談、とかわして。

 上のDVの話題と絡みますが、とにかく相手を人間とみなさない、相手を人間と見なくてもいいよねという確認をしつこくしてくるのは、人類として嘆かわしいですが存在します。
 自分の自尊心を満たしますから。
 それを国としてしなかった、許さなかったのが日本といえます。

 中国も米国も韓国も、日本と日本人を人間と見ないでよいよねという確認を何回もしてきています。
 中国も米国も韓国も、日本が悪であるという前提で国の歴史を作ってしまった。
 だから、日本が悪ではないよ、というと猛烈に反対する(例えば安倍総理に対する態度の様に)、それは自分たちの正統性が失われるということだから。

 日本としては、それを超えて日本人は人間だということと、世界の人が同じく人間であるというところを言う必要があると思います。
 既に多くの人が地道に実践しているように。

 一部の世界市民の様に外国に付和雷同して日本人を人間とみなさなかったり、その反動として外国の人を人間とみなさなかったりするのは、多くの日本人の好むところではありますまい。

 もう一つ哲学が必要です。
 相手を人間とみなし、相手に自分は人間であると宣言する、それを世界中でやる。
 それを日本と世界が理解しなければ。

 中国も米国も韓国も、日本と日本人を人間とみなさないというゲームに熱狂していると、背後からばっさりやられますよ。
 なぜならば、虚偽を使っても相手を倒していいというゲームは、自らをも伐採されてよいということだから。

 しらんぞ。

*****

◆NHKラジオ(0820)
【アジアリポート】
○ベトナム・ホーチミン 山崎亜理佐
 レポーターさんが2年ぶりに日本に帰国。
 ホーチミンと日本の違いの話題など。
 日本のお店は選ぶのに困るほど商品が多いと感じるとか。

○マレーシア・サラワク州クチン 酒井和枝
 クチンでのフードフェスティバルなど、マレーシアでの夏のイベントの数々の紹介。

2016年7月30日 (土)

安倍総理は偽少女像が撤去されると思ったことはない!? 青山繁晴「虎ノ門ニュース」から

 くっくりさんのブログで、安倍総理が2015年末にいわゆる慰安婦問題で韓国と最終合意したことについて、青山繁晴氏は反対の立場だとありました。
 米国の要求と思われるとはいえ、日本人を犯罪者とみなすことに加担したと。

◆安倍総理は偽少女像が撤去されると思ったことはない!? 青山繁晴「虎ノ門ニュース」(ぼやきくっくり)
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid1922.html

 先日のブログで、戦後レジームからの脱却について書きました。

 2012年安倍内閣は戦後レジームからの脱却を主張していたこと。
 しかし2013年の安倍総理の靖国神社参拝に対して米国が「失望」の表現を使ったこと。
 これは、米国にとって日本との戦争は正義の戦いであったので、米国が裁いたA級戦犯を無罪とする主張に対して否定的見解を示したため。
 これ以降安倍内閣は戦後レジームからの脱却について主張することはなくなったこと。
 そして2015年米国議会演説で日本の無罪の主張を取り下げ過去の戦争を謝罪することで万雷の拍手を受けたこと。
 安倍総理にとっては皮肉な事だったこと。

7/25のブログ

 戦勝国及び模倣国にとって、自国が正義であるためには日本が悪でなくてはなりません。
 日本の名誉回復がことごとく阻まれるのはこのためでもあります。

 我々は日本の名誉を知っていますし、だから憤慨しているのですが、他人の名誉を傷つけて平気な国に対してどうしたら「人間」に戻せるか。

 その術がわかりません。

2016年6月19日 (日)

子供や若者を利用する共産党、への雑感

◆ぼやきくっくり | 子供や若者を利用する共産党…Tweetまとめ16.06.01~16.06.15:
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid1897.html

 くっくりさんの6月18日の記事について思ったことを。

 相手の気を引く行為をして自分に従ってもらう、又は自分のやりたいようにする、というのは動物ではプロポーズなど高等な技能の一つであります。
 一方、嫌がらせをして相手に言うことをきかせる、又は自分のやりたい様にやる、というのもまた動物の高等な技能であります。

 共産党等の野党及び新聞社テレビ局の多くが行っているのが、後者の方法であります。
 暴力団の行為や、中国が日本等の外国に行っているのもこの様式であります。

 動物の世界においてはどちらも同じ様に有効な手法であります。
 ですから、人間でも動物と同じ様な行動をとることができるのであります。

 それでも、後者の方法を良くないと考える人間もいるのであります。
 何が差になっているのでしょうか。

 それは相手を人間とみているかみていないかの差ではないでしょうか。

 共産党等の野党及び新聞社テレビ局の多くは、この場合、相手となる政府与党も日本の人々も人間ではないものとして取り扱っているのであります。
 それが彼らへの違和感の源なのであります。

 彼らは日本人を人間とみることを止めた人々なので、自分たちがやっていることが奇異な目で見られている理由がわかりません。
 むしろ日本人は自分たちの世界観がわからない、やはり人間ではない者たちだとの思いを強化するだけでありましょう。

 また、彼らが行っているのはゲームでしかありません。
 先ほど述べたように日本の人々を人間とは見ておりませんので、まるでゲームのモンスターとして見ておりますから、勝てば意気揚々、負ければ悪罵ということをするのみであります。

 この様な彼らでありますので、自分たちが勝ったとて実際に何かができるわけではありません。
 本隊はその後で来るのです。
 彼らはその尖兵たる役割であるのです。

 全く生産的とはいえないことながら、この思想的な暴力行為をいなしてくしかないのであります。

 なお、彼らが日本人を人間とみていないからといって、共産党等の野党及び新聞社テレビ局の多くを人間ではないと断じるのは危険であります。
 彼らと同じ暗黒面に落ちれば、彼らの餌食として不本意な使われ方をするからであります。

 ああ、本物の野党、本物の左翼が欲しいのであります。

*****

◆NHKラジオ(0618)
【アジアリポート】
○カンボジア・プノンペン 倉田浩伸
 胡椒農園経営のレポーターさんの胡椒の話。
 胡椒は雨が好き、日陰が好き、だから胡椒栽培には熱帯雨林気候が向いているのです。
 その他胡椒のこととか、イカの緑胡椒炒めは要記憶。
 白胡椒って発酵食品だったんですね。

○タイ・チェンマイ 福間眞子
 チェンセーンのお話し。
 チェンマイから北250kmの田舎町。
 旧ラーンナー王国のゆかりの地で、アユタヤやスコータイよりは小さいですが歴史のある町です。
 いろいろな貴重な動物が生息しています。
 その他チェンセーンの伝説など。

2016年4月24日 (日)

ぼやきくっくりさんの国連「表現の自由」特別報告者記者会見記事からの雑感

◆左派に占拠された国連「表現の自由」特別報告者記者会見(ぼやきくっきり)
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid1873.html

 くっくりさんの記事です。
 連続ですみません。
 リベラルが国連を自己利用しようとしていていくらかは目的を達成していたみたいですが、やり過ぎて嫌われてもいるみたいですね。
 何をやっているのだか。

 今回はこうしたリベラルのうち自己主張の激しい群(リベラルA群)についてその傾向と対策を考えたいと思った次第です。

中心世界と辺境世界

 まず、世界と日本の立ち位置を見た場合、西洋が中心世界、日本が辺境世界ということになります。ちなみに清国(中国)(+朝鮮)はもう一つの中心世界(中心世界2)と見ることができます。
 この他、もう一つの極であるコミュニストがあります。
 これは反中心世界、反蛮族という特殊位置にあります。コミュニストは各社会の弱者を救いたいというrole(善)を持って生まれました(マルクスはそれを希求していました)が、ほどなく世界と社会を巻き込んだ権力闘争というanti role(悪)の存在が前面に出てしまい、以来roleがほとんど表に出てこない状況です。もちろん本人たちは自らをroleだと思っています。
 本来はリベラルとコミュニストと分けて考えないといけないのですが、今回の日本人を人間と見ないという面では共通していますのでリベラルA群という呼称まとめておきます。

リベラルA群の愛

 中心世界は日本を蛮族と見ています(イメージです)。リベラルとして中心世界に認められたい。こうしてリベラルA群が生まれます。
 ここで中心世界に認められないのは自分に実力がないのではなく、日本人だからだという認識を持ちます。なんとなくですので全員がそうなるわけではありません。ここで中心世界嫌いになって民族派に転向する人もいるかもしれませんが今回は省略します。
 恋する中心世界に認められるために、日本という蛮族を非難することで一員として認められたいという考えが湧き上がります。まさに恋心。
 中心世界が日本人を蛮族で人間と見なしてないように日本人を人間としてみない(イメージです)。英語公用論、キリスト教化論、日本未開論、クジラ論、女性論、南京事件、慰安婦問題そして中心世界に物申さない。

 これだけすればリベラルA群は中心世界に認められるでしょう。
 と思っているはずですが、本質はどうなのでしょう。日本を批判することで中心世界の一部からは喝采を浴びることとなるでしょうが、それで中心世界の一員となっているか。もしかしたら蛮族の草と見られて、表面的にしか仲良くしてもらえないかもしれません。
 今回の記者会見の振る舞いがそれに近いようにも思われます。

 これがおそらくリベラルA群が中心世界に恋焦がれ、日本人を蛮族として中心世界に告発するエネルギーでしょう。
 正確な表現ではないかもしれませんが、方向性はこちらだと。
 リベラルでも本当に実力のある人は、中心世界に媚びへつらって日本人を蛮族視したりしないと思うのですけどね。
 そして本当に実力のない人は、どんなに日本人を蛮族視しても中心世界から認められないでしょう。誰か今回いたようですね。

なぜ日本のリベラルは本物ではないのか

 リベラルA群は、中心世界に憧れ中心世界の人から認めてもらいたい、中心世界から他の日本人と同じ蛮族扱いされるのは嫌だという心の流れがあるように思えて仕方ありません。そして同様に中心世界のリベラルと同じということで日本人から尊敬を受けたいという心理もありそうです。結果日本人は蛮族だが自分たちは違うと思いたいリベラルA群が大量生産されます。日本の中でいわば貴族的立ち位置にありたい。だから日本のリベラルは中心世界のリベラルと異なり同胞を人間としてみないという姿勢が目立つことになります。これが本物のリベラルといえるでしょうか。
 だから外国のリベラルと同じように政府批判をしても、国民の方をみていない。国民の役に立つことなど眼中に無いのです。
 その姿勢のままで日本は本物の議論ができないとして日本を蛮族と呼びたがりますが、そもそもの原因が文句を言っているのです。どの口が言うか。
 コミュニストが混じっているとはいえ、いったい国民に冷たいリベラルなんて日本以外にあるのでしょうか?

メディアとインターネット

 リベラルA群が、特にメディアと親和性が良すぎる現状は問題があります。記者クラブに代表されるようにメディアの閉鎖性が日本で目立ちます。ちなみに国境なき記者団による世界報道自由度ランキングで日本は2015年に61位、2016年現在では72位です。リベラルA群などは政府の姿勢を理由にしたいみたいですが、それだけではないことはレポートからわかります。政府の努力だけでは無理なのでここを何とかしないといけません。どのような政権であれ記者クラブが残っていたら本当の報道の自由なんて夢のまた夢でしょう。
 そのような中で特に言いたいのは日本のマスコミの中の人や評論家のリベラルな人の能力の不足です。ジャーナリストやリベラリストの称号だけで、能力に疑問を感じる人が多すぎます。よくがんばっていますね程度ではちょっと問題があります。例えばショーンK氏の問題がありましたが、素人に勝てないようでは情けなくなります。少なくとも池上氏クラスの人がそこそこ大量に必要です。
 一方Freedom Houseによると世界のインターネット自由度ランキングで日本は9位だそうです。比較対象が違うとはいえこの順位の差は面白いです。
 インターネットが普及を始めて20年くらい経ちました。よく年齢が高い人はまだテレビや新聞が主でインターネットはあまり使わないし、年齢が高い方が影響力も大きいという声があります。しかし、これが30年40年とかになったらどうなるでしょうか。インターネットに触れる機会がない人の方が少なくなってくるのではないでしょうか。記者クラブの優位性が崩れるとしたらこの流れになると思います。
 もちろん、記者クラブもリベラルA群もインターネットを使いますのでインターネットが流行ったら全て良い方向にいくというものではありませんが、リベラルA群が占有するという事態だけは解消することができるのではないでしょうか。

リベラルと民族派

 リベラルと対極なのが民族派ですが、民族派は中心世界からみると蛮族が蛮族たる理由のようにしか見えません。リベラルA群から見るとリベラルが国民を指導(実際は支配か)しようとする際の邪魔者にしか見えません。そのような背景からリベラルA群は民族派をanti roleとして非難し続けます。リベラルA群が日本人を蛮族と見なすanti roleを延々と続けるので、自然とリベラルに対して反anti roleになります。このコラムで何回も言っていますが反anti roleはanti-anti roleとなって最後にはanti roleとなります。リベラルA群や中心世界に散々悪口を言われてきた民族派はついにはリベラルや中心世界の人間を人間と見なさない行動に出ます。これが民族派A群の出現です。
 こうして日本人を人間と見なさないリベラルA群はついにはパヨクという称号を、リベラルと中心世界の人間を人間と見なさない民族派A群はネトウヨという称号を与えられ、自分達はroleで相手がanti roleだという争いを延々と続けることになります。
 エネルギーの無駄遣い、全くの不毛です。

本当のリベラルに出てきて欲しい

 日本が世界との関係を開始した19世紀以来中心世界は日本を蛮族と見ているという視点は不可欠です。
 しかし、そこで中心世界を真似て同胞を人間と見なさないとか、中心世界の傲慢を糾弾して中心世界の人間を人間と見なさないとか、そういうことをやるとanti roleになるという危険性を認識すべきでしょう。
 リベラルは「自分が認められる」のではなく「日本人が認められる」ようなやり方が何故できないか考えてみてもいいのです。
 「日本」というと国家主義であるとしてリベラルやコミュニストは嫌いますが、「日本人が」ですよ。
 日本人が中心世界と同化すれば解決するという考えが明治以来よくありますが、それはリベラルではなく文明破壊であって人類社会からみてanti roleです。
 日本人を蛮族と見なしているリベラルA群の人たち、あなた方が貴族然としていると日本人が困ります。
 日本人はリベラルA群の奴隷ではないのです。

 そんなわけで本当のリベラルに出てきて欲しいのですが、夢のまた夢でしょうか。

2016年4月21日 (木)

くっくりさんの熊本地震の記事から、自衛隊とマスコミと、誰がいつか来た道になるか

◆熊本地方を襲った二度の大地震で思ったこと(ぼやきくっくり)
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid1871.html

 くっくりさんのところで熊本地震についての記事がありましたので。
 そして、有名な以下の記事がありましたので。

◆被災者の疑問「そういえば自衛隊員がご飯を食べているのを見たことがない…」→衝撃の真実が明らかに | netgeek
http://netgeek.biz/archives/71275
(しんしんのお店・店長ブログさん経由)

◆仙台放送、関連会社社員の虚偽ツイートを謝罪 関テレ中継車の割り込み給油めぐり - ITmedia ニュース
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1604/19/news170.html
(しんしんのお店・店長ブログさん経由)

 今回は自衛隊(第3列、軍事)、マスコミ(第5列、情報)について述べたいと思います。
 マスメディアは自分たちの勇姿しか見せませんので、いきおい情報がネット中心になってしまいますがそこは割り引いて考えてください。

 自衛隊の心意気と心遣いは毎回大したものです。
 自発的なものもありますが、旧大日本帝国軍の威信が地に落ちたことが大変大きいのです。
 常にroleであり続けなければ、国内からも国外からも存在を否定される。
 状況と教育が国民の信頼を得ている理由の一つでしょう。

 一方、メディアはrole(役割)を発揮しようと頑張りますが、心遣いに少々欠けているようです。
 具体的に言うと国民をモノ(取材対象)としか見ていない、国民に迷惑をかけないという最低限の道徳を発揮できない、など。
 メディアが国民の為にあるのではなく、国民がメディアの為にあるのだ、という貴族思想が垣間見えたりします。
 更には、野党やリベラルのあまり意味のない政府、自衛隊批判を、無自覚に文字や電波に乗せて、それを以てrole(政府批判、確かにこれもメディアの役割の一つだが…)としています。
 我々メディアはがんばっています、という姿勢です。
 しかし、今回の政府、自衛隊批判は、国民の役に立つ話がどれくらいあったでしょうか。
 これはひょっとしたら国民にとってanti roleな話にならないか、と自省したことはあったでしょうか。
 マスメディアにはそれぞれに判断部門を持っているのでroleかanti roleかの議論はあるはずです。
 だから表に出てきたものは、マスメディアにとってはroleと判断されたもののはずです。
 しかし、いくつかの案件は国民からanti roleとみなされています。
 ここの差異が、おそらくメディアの貴族意識、国民をメディアの下に見る思想が現れていると見ることができるのではないかと。
 そのような姿勢なので、普段貴族然としているメディア職員がtwitterや給油で失敗したりする。
 如何に国民を下に見ているかが、わかってしまうのです。

 かつて宗教は人々の希望でしたが、物理的に人々を救うことはできず、絶望となりました。
 かつて軍事は人々の希望でしたが、自と他を破壊することしかできず、絶望となりました。
 そして経済は人々の希望になるかと思われましたが、富と貧困の差の拡大を出現させ、絶望となりつつあります。
 今、情報とそれに付随するリベラルが人々の希望の様に振る舞っていますが、あなた方はどこに行こうとしていますか。
 もし、かつての希望たちの振る舞いの過ちを繰り返すならば、それは絶望への道となることは確実でしょう。

 お気楽に政府自衛隊批判している場合ではないのですよ。
 それとも旧日本軍の様に完膚なきまでに解体されるのがお好みですか。
 いつか来た道というのは自分たちにも適用されるという怖さをわかっていますか。

 人間、一度やらかさないとわからないのでしょうか。
 わからないのであれば、明治以来のマスコミというものは一度消えて欲しい。
 本当にroleがわかっているものが情報通信を担うべきでしょう。

2016年4月 3日 (日)

日本死ねとfinalventさんのブログ

◆「日本死ね」と言うべきだっただろうか?(極東ブログ)
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2016/04/post-2a0b.html

 finalventさんの「日本死ね」に関するブログ。

 「日本死ね」という言説自体はさして新しいものではないと思われる。
 今回のはマスコミが大きく取り上げ、リベラルが活気付いた。

 ここに一般市民の(と思われる)書き込みを奇貨として、政府をanti roleとみなして
 反anti roleの旗を振りかざそうとしているところまでは予想通り。

 別途、リベラルをanti roleとみなす愛国者の「反日、国賊、売国奴」という反anti roleの旗に対して
 これを期に愛国者こそがanti roleだと主張する流れも予想通り。

 ただ、ここで文言上で「日本死ね」をリベラルが是としたことから
 リベラルは日本人を人間とみなしていないことが明らかになってしまった。

 これではいくらヘイトスピーチ論で、愛国者が外国人を人間とみなしていない、けしからんと言っても
 リベラルこそ日本人を人間とみなしていないではないかという反論を招くだけ。
 リベラルは何故にこんな非対称な態度を表明して、しかもまずいと思わないのか。

 日本以外の国のリベラルは少なくとも自分と同じ国民を人間と見ないという言説は避ける。
 例外はあるが、主流派がこれをやる地域はみたことがない。
 とすれば、この国のリベラルは日本人ではないか、日本人でいることを基本的にやめた人か。
 そうであれば、日本のリベラルが日本の政府や日本人そのものを人間とみなさない、anti roleとするのもありだろう。

 そうすると、結局日本のリベラルは日本社会にとってanti roleとみなされ、
 しかも本人たちが反anti role(実際はanti role)と言明しているのだから
 大半の日本人にとってなかなか支持できるものではない。

 日本のリベラルは考えが足りないのか、
 愛国者の言うように外国の手先なのか、
 それとも、反政府運動を一手に引き受けてその動きをわざと失敗させる、政府のために働く組織なのか。

 わからん。

 そして意味のないTB。

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